エリート弁護士と婚前同居いたします
彼の言葉にふつふつと怒りがこみ上げる。

「馬鹿なことを言わないで!!」

 バッと彼がつかんでいる髪を振り払う。
「いきなり現れて、何を言い出すの? そんなこと信じられると思う? 私たちはほぼ初対面なのよ? そんなのありえない」
 怒りで唇が震える。苦い涙がこみ上げそうになり、バッグを握る指に力を込める。
 どうしてそんなことが言えるの。からかうのもいい加減にしてほしい。

「帰って!! もう二度と来ないで!!」
 叫ぶように言って彼の真横を通りぬける。
 その瞬間、鍵を差し込もうとした手首を後ろから捕らえられて抱き込まれる。背中にあたる上尾さんの胸のかたい感触。
「嫌だ」
 言いながら彼が私のお腹に腕を回す。細身なのに腕に込められた力は強く、振りほどけない。

「じゃあどう言えばいい? どう言えばお前は俺の言葉を信じる? ひとめ惚れだって言ったら信じてくれるのか?」

 切なく弱々しい声が背後から聞こえた。彼がトン、と私の右肩に頭をのせる。
 彼の鼓動が伝わる。私のものと変わらない速いリズム。
 こんなのおかしい。この人は誰が見ても外見も中身も完璧なエリートの男性。そんな人が私にひとめ惚れする要素なんて何ひとつない。ありえない。

「今すぐ信じてくれとは言わない。だけど拒絶しないでほしい。頼むから」

 そんな言い方はずるい。頼むから、なんて。出会ってからの上尾さんは、いつも毅然としていて偉そうだった。そんな弱々しい言い方をするのは反則だ。

 ……信じそうになってしまう。しかもこんなふうに抱きしめられても不快に思わないなんて、私はどうしてしまったんだろう。
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