エリート弁護士と婚前同居いたします
「そんなに至れり尽くせりなのに、何を贅沢言ってるんですか」

 翌日、寝不足気味の頭を抱えながら出勤した私に、後輩の辛辣な声がかかる。お昼休みを先にとった私たちは午後の診療に向けてカルテの整理をしている。午前の診療時間を過ぎてしばらく経っているため、クリニック内には患者さんの姿はない。歯科衛生士さんたちも今はロッカールームにいたり、外出していたりしている。
 瑠衣ちゃんには朔くんのことも昨日の引っ越しのことも、ほぼ全て話している。

「今朝は朝食も作ってもらったんですよね」
 患者さんがいないことを幸いに、受付カウンターにまで広げたカルテを取り上げながら、瑠衣ちゃんが言う。黙って頷く私。
 そう、昨日は夕食を作ってもらったし、朝食は私が作る!と意気込んで早起きをしたら、すでに彼が用意してくれていた。

「家賃は無料で朝食つきって好条件すぎません?」
「む、無料じゃないって!」
 後輩に返答しながら今朝の出来事を反芻する。ピシッとネクタイをしめてスーツを着込んだ朔くんはやっぱりとてもカッコ良かった。激務でむしろ家事を誰かに任せたいはずなのに、私のためにあれこれしてくれる彼には申し訳なさしかない。
 玄関に向かう朔くんに行ってらっしゃい、と声をかけた。

『行ってきます』
 そう言って彼は何か言いたげに、私の顔を凝視する。
『な、なに』
 綺麗な焦げ茶色の瞳に私が映る。
『約束、覚えてる?』
 朝から完璧な笑顔で言う朔くん。その言葉に顔がひきつりそうになる。
 やっぱり言うの……? 本気なの? しかもなんでそんなに嬉しそうなのよ!

 素知らぬ顔で見送ろうと思っていた計画が頓挫したことを思い知る。
『だ、大好き、朔くん。い、行ってらっしゃい……』
 恥ずかしすぎて泣きそう! これ必要なの?
 羞恥に真っ赤になる私を見てクスクス楽しそうに笑いながら、朔くんが玄関ドアを開ける。

『行ってきます。茜も気を付けて』
 甘く耳元で囁かれる。サラ、と頰に微かに触れる彼の髪。バタンとドアが閉まり施錠した後、私は居たたまれず玄関にしばらくうずくまっていた。

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