ラブレター
バッグの中でスマホが震えた。着信だ。
ディスプレイで名前を確認し、それが同僚からの着信だと分かると、手のひらで涙を拭い、通話ボタンを押した。
「あ、えと、もしもし、日高さん、お疲れさま。今大丈夫?」
緊張しているのか、通話の相手――同僚の星野さんは、少し上擦った声でそう切り出した。
「大丈夫ですよ」
答えると星野さんはふううっと長く深いため息を吐いて、数秒間を置く。そして、……
「えと……仕事も一段落したしさ、もし日高さんが良ければ、週末……どこかに遊びに行かないかな、って……」
星野さんはこうして数ヶ月に一度、デートのお誘いをくれる。そのたびにわたしは曖昧に笑って、丁寧に断っていた。
星野さんはとても誠実で、他人の意見も尊重し、一緒に考えてくれる素敵な人だ。そんな人からの誘いを何度も断ってしまうのは心苦しい。わたしが前に進めないせいで、こんなに素敵な人を傷付け続けているなんて。それでもなお、こんなわたしを誘い続けてくれるなんて……。
ふと、握ったままだったお守りを見た。一番上にあったのは、偶然にも恋愛成就。
一歩踏み出さなければ。重い重い足を引き摺りながらでも、前に進まなければ。
「……水族館」
呟くように、絞り出すように言うと、星野さんははっと息を呑み「……え?」と聞き返す。
「移転したあと、行きました?」
「いや、行ってないよ」
「移転してもう三年も経つのに?」
「オープン直後は混むだろうって敬遠してたらいつの間にか……。まあ、一緒に行く相手もいないしね」
「じゃあ……行ってみましょうか」
「え?」
「行ってみたいです、わたし。今プロジェクションマッピングの特別展示があるってニュースで見て。気になってたんです」
「じゃあ……行こう。……土曜日でいい?」
「はい、大丈夫です。楽しみにしてます」
「ん……ありがとう」
星野さんの穏やかで優しい声を聞きながら、わたしはお守りをぎゅうっと握り、強く胸に抱き締めた。
これでいい。これでようやく一歩進めた。最後のときまでわたしの幸せを願ってくれた彼のためにも、しっかりと前を見なければ。
ねえ、高志。わたしは歩き出すよ。あなたの言う通り、わたしはあなたを思い出さない。でも決して忘れない。
いつかまた話すことができる日が来たときに笑われないよう、胸張って生きるよ。プレゼントありがとう。昨日、三十歳になったよ。とりあえずわたしは、元気でやっているよ。
ようやく顔を上げて、大きく息を吸いこんだ。
(了)