手の上に褒め言葉を


「栄転が決まってから、おまえ変だぞ。妙にそわそわしたり元気がなかったり。この間なんて弁当箱に眼鏡入れて来て、仕方なく外に食いに行ったら、財布忘れたんだって? マサルさんかサザエさん、どっちかにしろよ」

「はあ? はあ……」

「みんな心配してたぞ。何でもできる春川が最近抜けてるって。でもまあ仕事でミスしないところは春川らしいよな」

「……」

「でも今日で最後なんだし、おまえとの六年の付き合いも終わりなんだから、今日はいつも通りにしようぜ。毎日くだらないことで言い争って、営業成績で競って、小さなことで揚げ足とってきたのに。最近俺ら、ろくに会話もないだろ。このまま離れるなんて調子狂うわ」

「……、……」

 青沼が口にした「最後」や「終わり」という言葉が、やけに冷たく響いて聞こえた。それがわたしの胸に、さらに影を落とす。


 本音を言えば、この転勤は本意ではなかった。

 わたしがこの六年ばりばり仕事に励み、私生活もできるだけ色々なことにチャレンジして、生活を満喫してきたのは、青沼がいたからだ。

 仕事でも私生活でも何でもできる万能な同期の青沼に恋をしたから。彼の目に映りたかったから。彼に認めてもらいたかったから。頑張れた。
 六年経って、ようやく隣に並べるくらいに成長して、毎日何気ない会話や言い争いができるくらい仲良くなれて、さあそろそろ告白してもいいかなと思い始めて、告白のきっかけを「青沼に褒めてもらえたら」に決めたとき、転勤が決まったのだ。

 部署のみんなに祝福されるたび、申し訳なさが募った。「栄転」と言われるたび、疑問が残った。

 わたしの六年は、片想いの相手に認めてもらいたいがためにあって、出世を望んでいたわけではない。のに、出世のために頑張っていた先輩方を差し置いて、わたしだけが本社に行くことになってしまった。

 そもそも何をもって「栄転」と呼ぶのだろう。それが「栄転」か「左遷」か普通の「転勤」かを決めるのは、自分自身なのではないかと思う。栄転だ、と祝福されるたびに浮かんだ疑問の原因はこれだ。

 わたしの六年の最終目標は、青沼に告白し、片想いを成就させること。決して、出世して本社に勤務することではないのだ。そして転勤してしまうと、青沼と一緒にいられなくなってしまう。

 つまりわたしにとってこの転勤は、栄転とは言い切れなかった。
 かと言って、この転勤の辞令を断るだけの正当な理由を、わたしは持っていなかった。


 でもせめて当初の予定通り、青沼が一度でも、一言でもわたしを褒めてくれたら、告白だけはしようと。思っていたのに。
 結局青沼からの言葉は一切ないまま引っ越しの日、出発の時間を迎えてしまった。

 数日前に挨拶は済ませていたのに、青沼はなぜか駅まで見送りに来てくれた。それでもきっかけの言葉はもらえなかった。



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