手の上に褒め言葉を


「おい、聞いてんのか?」

 いつまで経ってもわたしの返答がなかったため、青沼は少し苛ついた声を出して、こちらを見下ろした。

「……聞いてるよ。いつも通りにしたいって話でしょ」

「ああ、最後だしな。そのほうが俺たちらしいだろ」

「まさか、小競り合いするためにわざわざ駅まで来たの?」

「そうだよ。らしくないまま終わって、今後の俺の仕事に支障が出たらどうすんだ」

「……」


 ああ、これではっきり分かった。わたしの六年間は無駄だったのだ。彼の目に映りたくて、彼に認めてもらいたくて頑張ってきたけれど、結局認めてはもらえず、異性としても見てもらえない。彼の中のわたしは所詮「毎日のように小競り合いをする同僚」でしかないみたいだ。


 だったらもう、このまま別れるしかない。

「それじゃあ、どうぞお元気で」

 バッグを肩にかけ直し、改札に向かって歩き出すと、すぐに青沼がわたしの手首を掴んで引き止める。

「小競り合いしようぜって言ってんのに、要望は無視するってか?」

「はいしましょうって始めるものでもないでしょ」

「そりゃそうだけど。俺らならできるだろ。六年も同じことしてたんだから。最後にちょっと小競るくらい」

「はいはい、最後ね」

 何度も繰り返される「最後」という言葉に無性に苛ついて、掴まれた腕を振りほどいて、青沼から一歩距離を取る。

「青沼にとって、転勤は今生の別れなのね。新幹線で二時間の距離なのに、実家もこっちにあるのに、転勤でまたこっちに戻って来るかもしれないのに、二度と会うつもりはないってことね」

 そう言ったわたしの声は、明らかに苛ついていて、とげがあった。青沼もそれに気付いてぴくりと眉を動かしたけれど、すぐにふっと息を吐いて、茶化すようにこう言った。

「転勤でまたこっちに戻るって。せっかく栄転するのに、つーかまだ行ってもないのに、すぐ左遷されるつもりかよ」

「その栄転っていうのも。何をもって栄転なの? 栄転かどうかは、本人の気持ち次第でしょ」

「はあ? 意味分かんねえ」

「だから、本人がそれを栄転だと思わなければ、それはただの転勤でしょってこと。周りが栄転だと言っても、本人が左遷だと思うならそれは左遷だよ」

「じゃあ春川は、今回のこれが左遷だって思ってるのか?」

「ううん、どっちでもない。ただの転勤」

「本社に行ってみたいって言うやつは大勢いるのに、まさか選ばれた本人が栄転だと思ってないとはな……」

 言いながら青沼はけたけた笑ったけれど、その目と声に込められている怒りや憤りは隠しきれていない。「そうだね」と返したわたしの声も、ひどく冷えていた。



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