やさしく包むエメラルド
「網戸閉めますね」

からららと網戸を引く彼を残して、わたしはテーブルに戻った。
ぬるくなった高級緑茶をイッキ飲みする。
彼はまた妙な容器にお湯を注ぎ、そこから急須にお湯を移す。
少し待ってから、わたしの湯呑みへとお茶を注ぎ足してくれた。

「ありがとうございます。……うん、おいしい。淹れ方もいいんですね、きっと」

「いや、誰が淹れてもその味でしょう」

「でも、わたしそんなカレールー入れみたいなの使いませんもの」

「カレールー入れ?」

落ち着き払っていた彼が目を丸くしてその容器を見る。
一度お湯を受ける器は白い陶器でできていて、カレールー入れを小さくして取手をなくしたような、注ぎやすい形をしている。

「それでお湯の温度を下げるんですよね? 多分。熱湯だとおいしくはいらないから」

煎茶は70度程度のお湯がいいのだとか。
それも一度沸騰させて、それを少し冷ましたもの。
器を一回変えると10度下がるとも言うから、沸騰させたポットのお湯はカレールー入れ(仮名)と湯呑みを渡り歩いた結果、急須に入るとちょうど70度程度になる計算だと思われる。

「そうなんですか。母がいつもこうしているので、そういうものだと思っていました」

「カレールー入れなんて、実家にもないですよ。わたしなんて手鍋でお湯沸かして、そのままティーポットに入れちゃいますし」

情緒のない生活に嫌気が指して顔を背けると、きらめく緑の向こうに、情緒のない自分の部屋の窓が見えた。
その向こうの散らかったベッドまで透けて見えそうで、ふたたび顔を戻すと彼は無表情のまま小さくうなずいた。

「合理的です」

「慰めてくださらなくて大丈夫ですよ……」

お茶を飲むとやはり沈黙が降りる。
けれど、さっきとは違って、この豊かな空間を五感で楽しめるようになっていた。
まともに挨拶さえ交わせないと思っていたのに、話しかけるとちゃんと受け止めてくれる。
それがわかれば沈黙も苦ではない。

ふと、このひとは、ここに住んでいるんだな、とごく当たり前のことを、風を受ける黒髪を見て思った。
彼のまとう落ち着いた空気と、ここのやわらかい風はよく似ている。
時間を持て余したように彼は庭に目を向けて、その瞳の中にもエメラルドの風が揺れているように見えた。
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