やさしく包むエメラルド
クールな彼か穏やかな彼か、運動部の先輩かという三択しかないと思っていたら、暴力的な元彼が幸せな日常を壊すこともある、と天気図のうずまきを見ながら思い至った。
南の方では次から次へと台風が発生しては消えていく。
寒暖差で体調を崩しやすいとは言っても、雨風に振り回されないだけ幸せだ。
高校の木が折れたの、あれって台風だったっけ?
小学校のとき一回だけ学校が休みになったことはあったよなあ。
幸せなことに、台風に関する被害ははっきり思い出せない程度のものだった。
台風なんて来ないし、来たとしても大したことない。
これがわたしに限らずこの辺りに住む人間の一般的感覚だ。
友達の友達がDV男に困っている、という程度の距離感。
だから九州と四国に上陸した台風25号が日本海に抜けたときには、どうせすぐに温帯低気圧に変わるだろうと油断しきっていた。
気象予報士が台風の威力の強さを強調するのは常のことで、元旦に引くおみくじより少し信用度があるくらいのもの。
ところが、北上するうずまきは一向に解散することなく、くっきりとしたドーナツ型を保っている。
梨やリンゴ農家では収穫作業を大急ぎですすめ、ダリア園ではすべての花を縛って固定している。
そんなニュースが続くようになり、いよいよ今日の深夜に最接近という段になって、さすがのわたしも不安に駆られる。
「これ、明日の出勤は大丈夫かな?」
わたしは自転車通勤だけど、雨の日はバスに乗る。
けれど報道されているような暴風と豪雨なら、傘すら危ういのではないか。
レインコートも長靴も持っていないのに。
「うーん。でも今さら何ができるわけでもないし。まあなんとかなるか」
としずかすぎる夜を過ごした翌日2時、見通しの甘さを痛感させられた。
空の奥でビュオオオオオオオオーという音が渦を巻く。
巨人があくびをしたような恐ろしげな音もする。
少し遅れて、ザバアッ、ザバアッと強弱つけて雨が窓を打った。
風の流れに合わせて窓だけでなく、アパート全体がガッタガッタと揺れる。
あまりに雨脚が強いので、その雨粒だけでガラスが割れるのではないかと思えてくる。
道路の様子を確認しようにも外は見えず、窓を開けることも難しい。
天気予報を見ながらどうしたものかと考えても、時すでに遅し。
今さら何らかの備えができるわけもなかった。
せいぜい祈るのみ。
「ふーん。じゃ、寝ちゃおう」
唯一できる祈りさえ放棄して、冷えたベッドを体温であたため心地よく眠りに落ちた。
その四時間後、『停電のため本日休み』という班長から班員全員への一括メールで起こされることとなった。