やさしく包むエメラルド
「あ、連理の枝」

唐突にそう言った啓一郎さんが指差した先には、裏の家の庭から伸びた枝が宮前家の庭木に届いていた。

「なんですか? それ」

「楊貴妃と玄宗皇帝を歌った『長恨歌』の一節。知らない?」

「知りません。啓一郎さんって歴史オタク?」

「俺は全然詳しくないよ。小花こそ、楊貴妃が好きなんじゃないの?」

「ライチ好きの美女ってことしか知りません」

ライチの水をぐびぐび飲んで、

「あと、太ってたってこと」

と睨んだら、またしても声を殺して爆笑された。
啓一郎さんは確かに人見知りらしい。
本当は普通に話すし普通に笑うひとなのだ。

呼吸が整ったタイミングで啓一郎さんはしずかに話し出す。

「俺もうろ覚えだけど、『長恨歌』の中でふたりが交わした愛の約束らしいよ。“比翼連理の誓い”って言う。『翼を並べて飛ぶ鳥のように、枝を絡ませ合う木のように、ずっと仲良くいましょう』って感じの意味だったかな?」

「ふーん。全然ピンとこない例えですね」

「全否定」

啓一郎さんはまた肩を震わせている。
その顔が見たかったけれど、反対側を向いているから見えなかった。

「だけど確か楊貴妃って、最初は玄宗の息子の嫁だったんだよな」

「うわ、ドロッドロしてますね。それで鳥とか枝とかぬけぬけと」

「まあ、詩だからね」

しずかな夜に冷静な指摘は冴え冴えとしていた。

「うーん、でも、」

ベランダの手摺りにもたれかかって、伸びた枝を見下ろす。

「玄宗に見初められて楊貴妃はどう思ったんでしょうね。『最高権力者イエーイ!』って感じなのか、『権力には逆らえない』って泣く泣く従ったのか」

「さあ? そこは知らないな」

一度「この人」と決めた人と離れて別の人と結婚するってどんな感じなのだろう?
離婚再婚は今なら普通だけど、本人の意志を無視して進められることはほぼない。

「前の旦那さんのこと引きずってても、キッパリ割り切ってても、どっちも嫌だな。自由恋愛の時代に生きててよかった」
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