やさしく包むエメラルド
空を見上げて笑ったわたしに対して、啓一郎さんは月に背を向けて、手摺りに寄りかかる。

「それは否定しないけど、」

啓一郎さんの表情は完全な陰になって全然見えない。

「自由だからこそ、結婚できない、しない人が増えた面もあると思う。昔は強引にでも結婚させられたから」

「そんなの虚しい。お互い好きじゃないのに」

家のため、子孫を遺すための結婚なんてバカバカしい。
世間体や常識としての結婚なら尚更嫌だ。

「そうとも限らないんじゃいかな。一緒に生活していれば愛情は後からついてくることもあるよ」

「そんなのただの“情”でしょう?」

「“情”は悪いものじゃない」

オレンジ水のキャップを開けて、飲まずにふたたび閉める。

「楊貴妃がお金や権力目的だったとしても、玄宗は構わなかったんじゃないかな。“心が手に入らない虚しさ”よりも“彼女がいない寂しさ”の方が辛いかもしれないから」

「わたしはそうは思いません。お金目当ての結婚するくらいなら、ひとりぼっちでいいです」

啓一郎さんはふっと笑ったけれど、ひそやかな吐息だけでやはり顔は見えなかった。

「それは若さかもね。“自分にはお金じゃない価値がある”って堂々と言える。俺には無理だな」

そんなことない。
啓一郎さんは十分に魅力がある。
確かに第一印象はいいとは言えなかったけど、彼はいつだって相手と一生懸命向き合う穏やかで慈愛に満ちたひとだ。
このひとを好きになる女性は、絶対にたくさんいる。

「俺は一度家を出て戻ってきたから、結婚も含めて“家族”って、わずらわしくて鬱陶しいって気持ちも、わからないではないけどね」

『だけど、瑠璃さんとはうまくいかなくなっちゃったみたいなのよね』

啓一郎さんは、“瑠璃さん”と別れてしまった。
わたしも恋人と別れたことはあるけれど、プロポーズも婚約も経験していない。
「生涯を共に生きたい」と思うって、どんな感じなのだろう?
そして、そこまで想った相手と別れるのは、どのくらい辛いのだろう?
啓一郎さんは寂しいのかな。

さっきの言葉を否定してあげたいけれど、言葉にしてしまったら、穏やかならざる熱を持ってしまいそうで言えなかった。
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