灯火
***
「ただいま、瑞穂!」
玄関からジュリオの声が、とても大きく聞こえた。息を切らして、帰って来た感じが伝わってくる。キッチンから慌ててお出迎えすべく駆け出したら、リビングの前で見事に鉢合わせてしまった。
「きゃっ、ビックリした……」
驚きまくりの私の体を、ぎゅっと抱きしめてくれるジュリオ。そのあたたかさに、涙が出そうになった。
「家に誰かがいるっていうのは、とても嬉しいです。しかも美味しそうな香りが漂っていて、お腹が鳴ってしまいました」
「お帰りなさい、ジュリオ。お疲れ様でした」
最初で最後の挨拶――気持ちを込めて言ってあげた。
「ん……ただいま。こっちを向いて、瑞穂」
涙をぐっと堪えて顔をあげたら、ちゅっとキスをしてくれる。もうこのキスを受けることができなくなるんだな――
「今夜カレーですか? スパイシーな香りが漂ってますね」
「当たり! お口に合えばいいんだけど」
「そんな頑張った瑞穂に、はいお土産です」
パッと身を翻してリビングから出て行き、手に大きな箱を持って直ぐに戻って来た。包装紙は見覚えのある高いブランド物のもので、中身はキレイな青色のワンピースだった。
「こんなの私、貰えないわよ。恐れ多くて」
「そんな……貰ってくれないと私の苦労が、水の泡になってしまいます」
渡された大きな箱と、ジュリオの顔を見比べる。
「瑞穂の服のサイズが分らなかったので店員に一生懸命、身振り手振りで伝えたんですよ。身長はこれくらいで、肩幅はこんな感じっていう」
空中に私がいるように形を作っていく様は、見ていて面白いとしか言いようがない。しかもイタリア屈指の出身であるジュリオが店員相手に、無理難題を押し付けているんじゃないかと、周りは見たかもね。
「困っていたでしょ、店員さん」
「ええ。だけど向こうもプロですから。私の提示したサイズを測って瑞穂に合うこれを、見つけてきてくれました。着てみてください」
私が持っていた箱からワンピースを取り出して、ニコニコしながら見せてくれた。青い色がジュリオの瞳と同じ色なのに気がつく。
「ありがと、ジュリオ。あっちで着替えてくるね」
青い色――大好きなジュリオの瞳の色。そして青の洞窟の色……またひとつ、大好きな青が増えた。
ジュリオの優しさを噛みしめつつ、ワンピースに袖を通した。
「すごい……。サイズがぴったりだ」
ジュリオの神業に感心しながらリビングに戻ると、目を見開いて私のことを見つめる。
「やっぱり。瑞穂すごく似合ってますよ」
「ジュリオ、ありがとう。気に入ったわ」
笑いながら、くるりと一回転してスカートをなびかせてみた。
「瑞穂の肌の色が、より一層色っぽく見えます。折角着てくれた服を、今すぐにでも脱がしてしまうかも」
その言葉にギョッとして、怯える仕草をしてあげた。
「ダメだからね。私が作ったカレーを食べるまではお預けです!」
「冗談ですよ、イヤだなぁ。そんな顔して見ないで下さい」
「だってジュリオの目、やけに真剣だったから。その……冗談なんていうとは思わなかったし」
困り果てて俯くと目の前に立ちながら、大きな手で顔を優しく包まれてしまった。
「冗談は半分だけです。でも脱がしたい気持ちはありますよ。だってキレイですから、今の瑞穂は」
ちゅっと、触れるだけのキスをしてくれる。優しいその仕草に迷わず、身を委ねてしまいたくなった。
「だったらカレーを食べた後で、私を食べてね」
最初で最後の私からの誘い文句――だけどそれが実行されることがないって分かっているから、平然と言ってしまえたのかもな。
「はいっ。カレーも瑞穂もたくさん食べますよ」
嬉しそうに微笑んでくれるジュリオの笑顔を忘れないように、目の裏に焼き付ける。
「だったら配膳、手伝ってね。ジュリオがてきぱきしてるところが見てみたいし」
ふたり仲良く並んでキッチンに立ち、準備をしてからテーブルについた。カレーとサラダを食べながら一緒に赤ワインを呑む。
この間一緒に呑んだときよりも美味しそうにワインを呑む、ジュリオを目を細めて眺めた。
「私は父よりも、祖父の仕事を真似してやっているんです」
「へえ、どうして?」
お酒を口にしたせいか楽しげに仕事の話をしてくれることに嬉しくなって、微笑まずにはいられない。
「戦時中の大変な環境でホテル経営をしながら、いろんなことに果敢にチャレンジしている祖父は、すごいなぁと思ったんです。不況な現在も同じように大変だけど、だからこそ、やってみたいものが結構あるんですよ」
「大変なのに、楽しそうねジュリオ」
「ん……。喜ぶお客様の顔が見たいっていうのもあります」
勢いよく、ワイングラスの中身を呑み干していった。すかさずそれに、ワインを注ぎ足してあげる。
「瑞穂はどうして、ホテルマンになったのですか?」
注ぎ足したワイングラスを手にしながら唐突に訊ねられたせいで、困り果ててしまい俯いてしまう。
「それは……その、暗い話になっちゃうけどいい?」
「暗い話ですか?」
上目遣いで目の前のジュリオを見たら、キレイな眉を寄せて顔を曇らせる。
「うん。暗い話だけど聞いてほしいな」
手に持っていたスプーンを皿の中に置くと、同じように手にしていたグラスを優しくテーブルの上に置いた。
「私がホテルマンになったのはね、恩返しがしたかったからなんだ」
思い切って話し出すと、姿勢を正して小首を傾げる。
「日本に初めてできたイタリア発の大型テーマパークと一体型のホテルに、家族で泊りがけで出かけたの。最初で最期の……」
「確か、日本にウチの支店が進出したのって」
「私が小学3年生のとき。自宅から車で30分くらいだったから、行って見ようってことになってね。オープン直後のお客さんがごった返してるところに、家族3人で遊びに行ったわ」
マブタを閉じると鮮明に浮かんでくるくらい、それはそれは楽しくてずっと笑っていた。
「家族でよくおでかけしてたけど、あそこまでみんなが笑顔になることなんてなかったの。普段寡黙なお父さんが子どもみたいにはしゃいじゃって、それをお母さんが窘めていてね。それを見ているのが、すっごく嬉しくて楽しくて」
「それは良かったです。当時の話なんですがイタリアではウケたけど、日本で同じことになるか分からないだろうと、父が日本進出に反対していたようなんです。既にアメリカのD社が進出していたせいもあって、二の足を踏んでいたのですが、会長だった祖父が強引にプッシュしましてね。『笑うことと楽しむことは万国共通だ!』と言ったみたいです」
「じゃあ、ジュリオのおじい様に感謝しなきゃね」
膝の上に置いていた両手を、ぎゅっと握り締める。
「朝から夜遅くまでテーマパークで遊び倒して、ホテルに一泊して。美味しいご馳走を食べて、ふかふかのベッドに横になったのも、しっかり覚えているわ。だけど――」
「はい……」
「次の日、帰る道中で事故に巻き込まれちゃったの。玉突き衝突事故で、運転席と助手席にいた両親が亡くなってしまって」
私の言葉を最後まで聞いてから無言で立ち上がり、テーブルを回って包み込むように体を抱きしめてくれたジュリオ。耳に聞こえるアナタの心音が、何故だか心地よくきこえてくる。このぬくもりを手放したくない。
「つらい話をさせてしまって、すみませんでした」
「ううん、いいの。ジュリオには聞いてほしかったから。家族との最後の思い出になったホテルで働くことができて本当に良かったと思っているし、それにアナタと逢えたから」
最後の夜に、いろんな話ができて良かったよ。
「瑞穂……」
「ほらほらカレーが冷めて美味しくなくなっちゃう。食べましょうよ!」
「わかりました……。あの、瑞穂」
抱きしめてくれてる腕に手をかけて強引に引き離すと、潤んだ瞳で私を見つめるジュリオがいた。
「なぁに?」
「これからふたりで、たくさんの思い出を作りましょう。アナタが笑顔で過ごせるように、私は頑張ります」
どうしよう……泣き出してしまいそうだ――そんな言葉を聞いてしまったら、離れがたいじゃない。
奥歯をぎゅっと噛みしめてから、こみ上げてくるものを何とかやり過ごして、ニコッと微笑んでみせた。
「ありがと、ジュリオ。楽しみにしてる」
その後、席に戻った彼とたわいもない会話を楽しんだ。途中、食器を片付けて食後のコーヒーを出す。
時差ボケ対策として、睡眠導入剤を持ってきていた。それを混ぜたコーヒーを、ジュリオの目の前に静かに置く。
「ちょっと濃い目に、落としすぎたかも」
私の言葉にジュリオは柔らかくほほ笑んで、コーヒーを口にした。
「瑞穂が作ってくれたのなら、何でも美味しいですよ」
「んもぅ、ジュリオったら。褒めても何も出ないから」
このやり取りも最後になるんだな。あと数分したら、アナタは眠りの底につく――
「瑞穂といるだけで、私はどんなことでもできそうですよ。すごくパワーを貰ってる。感謝します」
微笑みをくれるジュリオの腕をとり、無理矢理に立ち上がらせた。
「寝室に行きましょ。何だか眠そうな顔してるわ」
「そんなこと言って。私のことを誘ってるでしょ瑞穂」
「誘ってません。足元がおぼつかない状態よ。ワイン、飲みすぎたのかもね」
「ワインじゃなく、瑞穂に酔ってます」
クスクス笑いながら、しなだれかかってくる。
「ちょっ、重たい。ちゃんと歩いてよジュリオ」
幸せの重み……忘れないでいよう、この瞬間を。アナタと並んで歩く、最後の瞬間だから。
寝室のドアを開けてゆっくりとジュリオの体を、ベッドに横たわらせた。
「……新しいシーツに換えてくれたんですね。とても気持ちがいいです」
履いていた靴を脱がせて、きちんとベッドに入れてあげる。
「瑞穂……傍に、き、てくだ……ぃ」
「ゴメンね、ジュリオ。私、行かなくちゃ……」
マブタを閉じた彼の頬に、そっとキスを落とした。最後のプレゼント――私からは、こんなものしかあげられないけど。
置手紙は書かずにジュリオの家をあとにした。大通りに停められていた車に乗り込み、空港へ向かってもらう。
そのまま日本に帰国して、働いていたホテルを辞めた。ジュリオが追いかけてこないように――
これで完全に彼との結びつきが途絶えたと思っていたのに、彼から残されたものに驚くしかなかった。
「ただいま、瑞穂!」
玄関からジュリオの声が、とても大きく聞こえた。息を切らして、帰って来た感じが伝わってくる。キッチンから慌ててお出迎えすべく駆け出したら、リビングの前で見事に鉢合わせてしまった。
「きゃっ、ビックリした……」
驚きまくりの私の体を、ぎゅっと抱きしめてくれるジュリオ。そのあたたかさに、涙が出そうになった。
「家に誰かがいるっていうのは、とても嬉しいです。しかも美味しそうな香りが漂っていて、お腹が鳴ってしまいました」
「お帰りなさい、ジュリオ。お疲れ様でした」
最初で最後の挨拶――気持ちを込めて言ってあげた。
「ん……ただいま。こっちを向いて、瑞穂」
涙をぐっと堪えて顔をあげたら、ちゅっとキスをしてくれる。もうこのキスを受けることができなくなるんだな――
「今夜カレーですか? スパイシーな香りが漂ってますね」
「当たり! お口に合えばいいんだけど」
「そんな頑張った瑞穂に、はいお土産です」
パッと身を翻してリビングから出て行き、手に大きな箱を持って直ぐに戻って来た。包装紙は見覚えのある高いブランド物のもので、中身はキレイな青色のワンピースだった。
「こんなの私、貰えないわよ。恐れ多くて」
「そんな……貰ってくれないと私の苦労が、水の泡になってしまいます」
渡された大きな箱と、ジュリオの顔を見比べる。
「瑞穂の服のサイズが分らなかったので店員に一生懸命、身振り手振りで伝えたんですよ。身長はこれくらいで、肩幅はこんな感じっていう」
空中に私がいるように形を作っていく様は、見ていて面白いとしか言いようがない。しかもイタリア屈指の出身であるジュリオが店員相手に、無理難題を押し付けているんじゃないかと、周りは見たかもね。
「困っていたでしょ、店員さん」
「ええ。だけど向こうもプロですから。私の提示したサイズを測って瑞穂に合うこれを、見つけてきてくれました。着てみてください」
私が持っていた箱からワンピースを取り出して、ニコニコしながら見せてくれた。青い色がジュリオの瞳と同じ色なのに気がつく。
「ありがと、ジュリオ。あっちで着替えてくるね」
青い色――大好きなジュリオの瞳の色。そして青の洞窟の色……またひとつ、大好きな青が増えた。
ジュリオの優しさを噛みしめつつ、ワンピースに袖を通した。
「すごい……。サイズがぴったりだ」
ジュリオの神業に感心しながらリビングに戻ると、目を見開いて私のことを見つめる。
「やっぱり。瑞穂すごく似合ってますよ」
「ジュリオ、ありがとう。気に入ったわ」
笑いながら、くるりと一回転してスカートをなびかせてみた。
「瑞穂の肌の色が、より一層色っぽく見えます。折角着てくれた服を、今すぐにでも脱がしてしまうかも」
その言葉にギョッとして、怯える仕草をしてあげた。
「ダメだからね。私が作ったカレーを食べるまではお預けです!」
「冗談ですよ、イヤだなぁ。そんな顔して見ないで下さい」
「だってジュリオの目、やけに真剣だったから。その……冗談なんていうとは思わなかったし」
困り果てて俯くと目の前に立ちながら、大きな手で顔を優しく包まれてしまった。
「冗談は半分だけです。でも脱がしたい気持ちはありますよ。だってキレイですから、今の瑞穂は」
ちゅっと、触れるだけのキスをしてくれる。優しいその仕草に迷わず、身を委ねてしまいたくなった。
「だったらカレーを食べた後で、私を食べてね」
最初で最後の私からの誘い文句――だけどそれが実行されることがないって分かっているから、平然と言ってしまえたのかもな。
「はいっ。カレーも瑞穂もたくさん食べますよ」
嬉しそうに微笑んでくれるジュリオの笑顔を忘れないように、目の裏に焼き付ける。
「だったら配膳、手伝ってね。ジュリオがてきぱきしてるところが見てみたいし」
ふたり仲良く並んでキッチンに立ち、準備をしてからテーブルについた。カレーとサラダを食べながら一緒に赤ワインを呑む。
この間一緒に呑んだときよりも美味しそうにワインを呑む、ジュリオを目を細めて眺めた。
「私は父よりも、祖父の仕事を真似してやっているんです」
「へえ、どうして?」
お酒を口にしたせいか楽しげに仕事の話をしてくれることに嬉しくなって、微笑まずにはいられない。
「戦時中の大変な環境でホテル経営をしながら、いろんなことに果敢にチャレンジしている祖父は、すごいなぁと思ったんです。不況な現在も同じように大変だけど、だからこそ、やってみたいものが結構あるんですよ」
「大変なのに、楽しそうねジュリオ」
「ん……。喜ぶお客様の顔が見たいっていうのもあります」
勢いよく、ワイングラスの中身を呑み干していった。すかさずそれに、ワインを注ぎ足してあげる。
「瑞穂はどうして、ホテルマンになったのですか?」
注ぎ足したワイングラスを手にしながら唐突に訊ねられたせいで、困り果ててしまい俯いてしまう。
「それは……その、暗い話になっちゃうけどいい?」
「暗い話ですか?」
上目遣いで目の前のジュリオを見たら、キレイな眉を寄せて顔を曇らせる。
「うん。暗い話だけど聞いてほしいな」
手に持っていたスプーンを皿の中に置くと、同じように手にしていたグラスを優しくテーブルの上に置いた。
「私がホテルマンになったのはね、恩返しがしたかったからなんだ」
思い切って話し出すと、姿勢を正して小首を傾げる。
「日本に初めてできたイタリア発の大型テーマパークと一体型のホテルに、家族で泊りがけで出かけたの。最初で最期の……」
「確か、日本にウチの支店が進出したのって」
「私が小学3年生のとき。自宅から車で30分くらいだったから、行って見ようってことになってね。オープン直後のお客さんがごった返してるところに、家族3人で遊びに行ったわ」
マブタを閉じると鮮明に浮かんでくるくらい、それはそれは楽しくてずっと笑っていた。
「家族でよくおでかけしてたけど、あそこまでみんなが笑顔になることなんてなかったの。普段寡黙なお父さんが子どもみたいにはしゃいじゃって、それをお母さんが窘めていてね。それを見ているのが、すっごく嬉しくて楽しくて」
「それは良かったです。当時の話なんですがイタリアではウケたけど、日本で同じことになるか分からないだろうと、父が日本進出に反対していたようなんです。既にアメリカのD社が進出していたせいもあって、二の足を踏んでいたのですが、会長だった祖父が強引にプッシュしましてね。『笑うことと楽しむことは万国共通だ!』と言ったみたいです」
「じゃあ、ジュリオのおじい様に感謝しなきゃね」
膝の上に置いていた両手を、ぎゅっと握り締める。
「朝から夜遅くまでテーマパークで遊び倒して、ホテルに一泊して。美味しいご馳走を食べて、ふかふかのベッドに横になったのも、しっかり覚えているわ。だけど――」
「はい……」
「次の日、帰る道中で事故に巻き込まれちゃったの。玉突き衝突事故で、運転席と助手席にいた両親が亡くなってしまって」
私の言葉を最後まで聞いてから無言で立ち上がり、テーブルを回って包み込むように体を抱きしめてくれたジュリオ。耳に聞こえるアナタの心音が、何故だか心地よくきこえてくる。このぬくもりを手放したくない。
「つらい話をさせてしまって、すみませんでした」
「ううん、いいの。ジュリオには聞いてほしかったから。家族との最後の思い出になったホテルで働くことができて本当に良かったと思っているし、それにアナタと逢えたから」
最後の夜に、いろんな話ができて良かったよ。
「瑞穂……」
「ほらほらカレーが冷めて美味しくなくなっちゃう。食べましょうよ!」
「わかりました……。あの、瑞穂」
抱きしめてくれてる腕に手をかけて強引に引き離すと、潤んだ瞳で私を見つめるジュリオがいた。
「なぁに?」
「これからふたりで、たくさんの思い出を作りましょう。アナタが笑顔で過ごせるように、私は頑張ります」
どうしよう……泣き出してしまいそうだ――そんな言葉を聞いてしまったら、離れがたいじゃない。
奥歯をぎゅっと噛みしめてから、こみ上げてくるものを何とかやり過ごして、ニコッと微笑んでみせた。
「ありがと、ジュリオ。楽しみにしてる」
その後、席に戻った彼とたわいもない会話を楽しんだ。途中、食器を片付けて食後のコーヒーを出す。
時差ボケ対策として、睡眠導入剤を持ってきていた。それを混ぜたコーヒーを、ジュリオの目の前に静かに置く。
「ちょっと濃い目に、落としすぎたかも」
私の言葉にジュリオは柔らかくほほ笑んで、コーヒーを口にした。
「瑞穂が作ってくれたのなら、何でも美味しいですよ」
「んもぅ、ジュリオったら。褒めても何も出ないから」
このやり取りも最後になるんだな。あと数分したら、アナタは眠りの底につく――
「瑞穂といるだけで、私はどんなことでもできそうですよ。すごくパワーを貰ってる。感謝します」
微笑みをくれるジュリオの腕をとり、無理矢理に立ち上がらせた。
「寝室に行きましょ。何だか眠そうな顔してるわ」
「そんなこと言って。私のことを誘ってるでしょ瑞穂」
「誘ってません。足元がおぼつかない状態よ。ワイン、飲みすぎたのかもね」
「ワインじゃなく、瑞穂に酔ってます」
クスクス笑いながら、しなだれかかってくる。
「ちょっ、重たい。ちゃんと歩いてよジュリオ」
幸せの重み……忘れないでいよう、この瞬間を。アナタと並んで歩く、最後の瞬間だから。
寝室のドアを開けてゆっくりとジュリオの体を、ベッドに横たわらせた。
「……新しいシーツに換えてくれたんですね。とても気持ちがいいです」
履いていた靴を脱がせて、きちんとベッドに入れてあげる。
「瑞穂……傍に、き、てくだ……ぃ」
「ゴメンね、ジュリオ。私、行かなくちゃ……」
マブタを閉じた彼の頬に、そっとキスを落とした。最後のプレゼント――私からは、こんなものしかあげられないけど。
置手紙は書かずにジュリオの家をあとにした。大通りに停められていた車に乗り込み、空港へ向かってもらう。
そのまま日本に帰国して、働いていたホテルを辞めた。ジュリオが追いかけてこないように――
これで完全に彼との結びつきが途絶えたと思っていたのに、彼から残されたものに驚くしかなかった。