灯火
***

 イタリアの南に位置するナポリ――確かガイドブックには、南イタリアは特に食事が美味しいと書いてあった。

 ナポリピッツァに魚介のスープ、トマトのパスタや真っ白いモッツァレラチーズ!

 名目は研修だけど実際は会社であるホテルからのご褒美なので、1日だけイタリアのホテルで研修をしたら、残り5日間でイタリア観光してもOKだった。

 先輩と足を延ばす予定だったところに、こんなイケメンとイタリア観光へ一緒に行くことになるなんて――

 自家用ヘリを操縦する彼を、横目でチラッと見た。

「空から見る、イタリアの景色はどうですか?」

 私の視線に気がつき、王子様のような眩しい微笑みを浮かべて、話しかけてくれた。

(――これがバツじゃなかったらな……)

「日本よりも空と海の色が青いので、建物の色がハッキリと見えて、とてもキレイです」

 風光明媚な建物が目に付くのは、やはりその色合いだろうな。

 ホテルのあったベネツィア上空は同じ色をした屋根が特徴的で、町を歩いたときとの印象の違いに、とても驚かされたのである。

「ジュリオ、ベネツィアとナポリは南北に離れているから、景色も違うのかしら?」

「そうですね。簡単に言うとベネツィアは芸術と宗教の町で、ナポリは観光地と表現すれば分りやすいでしょうか」

 理解しやすく告げられた言葉に、思わず納得してしまった。芸術と宗教の町と表現してくれたベネツィア市内のことを、ぼんやりと思い出してみる。

 空港から降りて、最初に足を踏み入れたイタリアの土地。研修のあるホテルに付く前にキャリーケースをガラガラ引っ張りながら、少しだけ散策してみた。

 お洒落な建物に囲まれたところというイメージだったのに、ひとたび路地裏に入ると、入り組んだ迷路みたいになっていて、危うく迷いかけてしまったくらい。時間があったらわざと迷って、散策したいなぁと考えていた。それくらい、魅力的な町並みをしていた。

「瑞穂ナポリに着いたら、私から離れないで下さいね」

 上空を物珍しく見ている私に、少しだけ命令口調のジュリオ。ワケが分らず首を傾げると、綺麗な形の眉根を寄せてみせる。

「さっき言いましたよね、ナポリは観光地だって。観光客を狙うスリが、結構たくさんいるんです。新聞を持って自分を見てる人間には、特に注意して下さい」

「分りました……」

「そんなに、不安そうな顔しなくても大丈夫ですよ。もしものことがあれば、君の必殺技をお見舞いすれば、相手は驚いて逃げるでしょう」

(もしかして未だに引っ叩いたことを、根に持っているのかしら――)

 面白おかしく語る横顔からは、何も窺い知ることができない。この若さで役職に就いてるくらいだから、そう簡単に心情を晒すとは思えないし、わざわざ叩いたことを口に出して試すようなことをしても、無駄な気がするな。

「冗談ですよ。君のことは私が責任を持って、全力で守りますから。そんな風に怒らないで下さい」

 顔色が変わったのが伝わったのか慌てて訂正する彼から、思いっきり目を逸らした。

「さて到着しましたよ、お姫様。ローマの休日ならぬナポリの休日を、貴女のために――」

 操縦席から手早く降り立つと、私が乗っているほうのヘリの扉を開けて手を差し出してくれたジュリオに、渋々右手を重ねて降りた。

「そんな、つまらなそうな顔しないで下さい。どうすれば機嫌を直してくれますか、瑞穂?」

「だって、ジュリオが意地悪を言うからよ」

「イジワルではありません。私としては事実を言ったまでです。目から火花が散りました。すごく威力もありましたし、撃退するのに打ってつけです!」

 大真面目な顔して熱心に説明する姿に、もう笑うしかない。普通ならこれをネタにして嫌味な話題にするところを、必死になって説明するなんてクソ真面目なのか、あるいは天然なのか――見た目が格好いいだけに、ギャップがあって面白い人だな。

 そんな読めない人柄に呆れて私がニッコリ微笑むと、ジュリオは胸を撫で下ろして安堵する表情になった。

 こうしてふたりで何気ない話をしながら、ナポリの港に行き高速船に乗って40分、カプリ島へと渡ったのだった。

 カプリ島は観光名所というだけあって、お洒落な建物がたくさん目につく。

「ほらキョロキョロしないで、一緒について来て下さい」

 私の右手をとって自分の左腕に絡めると、観光客の間を上手にすり抜けてくれた。強引に引っ張るんじゃなく私の歩幅に合わせて、スマートに行動するジュリオに、こっそり感動してしまう。それはレディファーストが徹底されている、外国だからこそなんだろうけど。

 時折私の視線の先を気にして、わざわざ説明してくれたりと、至れり尽くせりだった。

「まずはお土産を買う前に、行きたい所があります。今日は波も高くないし、絶好のいい天気ですから」

「もしかして青の洞窟?」

「Si! そうです。瑞穂に綺麗な青を実際に見せてあげますよ」

 見上げた先にある、ジュリオの瞳と空の青が目に入る。このふたつの青色よりも綺麗なのかな?

 上手に誘導して連れて行ってくれる彼に、思いきって声をかけてみた。

「あの、ジュリオ!」

「何ですか? 瑞穂」

 上手く伝わるか分からないけど――

「えっと、グラーッツィエ・ミッレ……」

 ここまで連れて来てくれてどうも有難うを、イタリア語で言ってみる。最低限の挨拶と感謝の言葉とゴメンなさいくらいはきちんと言えなきゃと思い、必死に勉強していた。

「Grazie a te(グラーッツィエ ア テ)どう致しまして。とてもキレイな発音でした。もうイタリアで暮らせますよ」

 嬉しいことを言って褒めてくれたのに照れくさくて、つい俯いてしまった。

「瑞穂は何だか、私よりも年下みたいです。表情が瞬く間に変わって、すごく面白い」

「そういえば、ジュリオはいくつなの?」

 外人って、見た目じゃ年齢が判断できないのよね。どうも老けて見えるもの。

「瑞穂より、2歳若い24歳です」

 もうその年で取締役って、すごいな――

「船着場に到着しました。列の最後に並んで、乗船を待ちましょう」

 ニコニコしながら話しかけてくれるジュリオに視線を合わせて、微笑み返してみる。

 観光地なので当然たくさんの外国人がいるのに、その中でもひときわジュリオが格好良くみえてしまうのは、ずっと優しくされたせいなのかな。

 並んでいるときくらい腕を組んでいなくていいと思ったのに、外そうとしたらその手を止められてしまった。

「離れずに傍にいてください。これはバツなんですからね」

 口調は厳しいものなのに、目を細めて嬉しそうにしている顔が可愛らしい。こうしているのは防犯を兼ねているんだろうけど、それにしては過保護すぎかな。

「隣で並んでいれば大丈夫よ」

「分かっていないですね。瑞穂はチャーミングですから、ナンパするにはうってつけなんです。お願いですから、そのままでいてください」

 そう言って腕を組んでいた手を取り、ぎゅっと恋人つなぎしてきた。大きな手が包み込むように握りしめてきて、否応なしにドキドキしてしまう。ドキドキしすぎて、手汗かいちゃったらどうしよう……

 ちらりと横目でジュリオを見ると、ふいっとそっぽを向かれてしまった。どうしても表情を窺いたかったので、繋いでいる手をぐいっと引っ張ってみたら、仕方なさそうな顔して、こっちを向く。

(少しだけ、目の下が赤いかも?)

「瑞穂、私の嫌がることをするようなら、罰金をつけますよ?」

「これって嫌なことなの?」

 目の前に、繋がれている手を見せてみた。

「これじゃなく、私の顔色を窺うことです。おおやけの場でこんな風に女性と手を繋ぐ機会がないから、照れてしまうのは当然のことなのに」

 他にも何かぶつぶつ文句を言って、そっぽを向いてしまった。どうしたら機嫌が直るかな。

「……私はジュリオとこうして一緒にいられて、すごく嬉しい。ありがとね」

 バツとして一緒にいる関係だけど、いろいろ尽くしてもらって嬉しいのは確かだったので伝えてみた。

「喜んでもらえて私も嬉しいです。ありがとう瑞穂」

 ホッとしたような声で告げると、繋いでいた手にぎゅっと力を入れてきたジュリオ。私もその手に力を込めて握り返してあげる。

 こうして他愛のない会話をしながら、ふたり仲良く乗船を待ったのだった。
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