Shine Episode Ⅱ


「宗の披露宴においでくださったお客様には、最後まで気持ちよく過ごしていただきたいからね」


「麗しい兄弟愛だね」


「狩野、恥ずかしいこと言わないでくれ」


「恥ずかしいものか、できた弟だと思ったまでだ」



そうだそうだと、同席した顔ぶれからも声が上がった。

注目され困ったと思ったが、潤一郎はそれを逆手に取ることを思いついた。



「トラブルは避けたいからね。それに、問題を残したら、宗にも珠貴さんにも申し訳ないよ」


「問題があったのか?」


「ないない、なにもないよ」



わざとトラブルと口にした潤一郎は、狩野へ大げさに手を振りながら見て見ぬふりで井坂を探った。

潤一郎の言動に反応することなく何食わぬ顔でフォークを動かしているが、水穂が姿を見せたらどうだろう。

井坂の読み取れない表情を目の端におきつつ、正面に現れた角田たち4人を見据えた。

演奏が始まり、しばらくは誰もが弦楽四重奏の調べに耳を傾けていたが、ほどなくひそやかに会話が再開された。

潤一郎にしても演奏に興味はなく、演奏終了後に訪れる瞬間をじっと待っていた。

籐矢もまた、その時を待っていた。

演奏を終了した角田たちはどんな反応を見せるのだろう。

水穂を見て騒ぎ出さないとも限らないため、水穂を守る態勢を整えておくつもりでいるが、籐矢が気を付けているのは水穂だけではなかった。

過去に脅迫されて、狙われる可能性の大きい久我会長の身辺にも気を配らなければならない。

大使館のテロ未遂事件につながる楽譜も見つかっていることから、見えない勢力によるテロが発生する可能性も残っている。

いずれにも関与しているふしのある井坂が、動き出すのか、そうでないのか……

籐矢と潤一郎は、平静を装いながら全身に緊張をみなぎらせていた。

華やかな表舞台と裏舞台で、緊迫した時が過ぎていく。

弦楽四重奏の演奏がおわり、水穂の出番が近づいていた。

そのときの角田たち4人は明らかに動揺していた。

籐矢のそばに近づき話しかけた水穂は、顔を上げると正面の4人を見据えた。

4人の男たちはそれぞれ楽器を手にしていたが、そのひとりがこともあろうかバイオリンを床に落とした。

それほど驚きが大きかったのだろう。

ガタンと異様な音がホールに響き、客の視線が一斉に4人に集まった。

角田は仲間を叱りつけるようにうながし、あわてて袖へ引き上げた。

客の目には、バイオリンを落とした粗相に動揺した4人と映ったようだが、籐矢も潤一郎も、そして水穂も、4人の驚き具合にほくそ笑んだ。

逃げるように引き上げた角田たちを追いかけたのは、ホール入口に待機していた水野だった。

水野があとを追っているとも気がつかず、4人は蒼白のまま廊下を走り、ある一室へと向かった。

そこは、彼らが練習場所として使っていたシアター楽屋で、施錠してこもった4人は驚きと戸惑いを口にしながら、今後の動きについて話し合いをはじめていた。

楽屋内が盗聴されているとも知らずに……


井坂が動きを見せたのは、次の演奏が始まって間もなくだった。

昼食会には二組の演奏が組まれていた。

二組目にあらわれたのは、すでにプロとして活躍している5人の演奏家で、彼らが奏でる調べは見事なものだった。

それらを聴かずして井坂は立ち上がり、新婦がいるテーブルへと近づいた。

井坂が声をかけたのは、波多野結歌だった。



「結歌ちゃん」


「おっ、お久しぶりですね。あっ、あの、井坂さんのお名前に気がつかなくて……お元気でしたか」


「結歌ちゃんも元気そうだね。君の活躍は聞いてるよ。僕は親父の代理できたんだ」


「そうですか。あの、奥様もご一緒でしょう? 昔の教え子としてご挨拶させていただきたいわ」


「その必要はないよ……いま独身だからね」


「えっ……」


「少し彼女をお借りしてもいいですか」



テーブルの同席者にそう断ると、井坂は波多野結歌を連れてホールを出ていった。

井坂たちのあとを追ったのは京極虎太郎だった。

角田たちが引き上げると井坂も立ち上がり、時を同じくして動きがあったのだ。

水穂は異変を察知し仲間の応援にいくつもりでいたが、籐矢が動く気配はなかった。

潤一郎も席にとどまったまま、友人たちとの会話に興じている。

たまりかねて 「虎太郎君の応援にいきます」 と小声で告げ、籐矢から離れようとして手首をつかまれた。



「俺のそばを離れるな」


「でも……」


「香坂さん、ここにいてください」



潤一郎の声は穏やかだったが、有無を言わせぬ圧力があった。

井坂が立ち去った席に無理やり座らされた水穂は、新郎の友人たちに矢継ぎばやの質問を受けることになっていた。

潤一郎君とどんな関係ですか……などの質問にはあいまいな返事ですんだが、明らかに水穂を誘う問いかけには困り果てた。

籐矢に助けを求めるように目を向けるが、いつもなら水穂に言い寄る男がいたら底知れぬ冷た視線で追い払ってくれるのだが、どうしたことか水穂の訴えに応じる様子はない。

不満で頬が膨らみかけたときだった、籐矢はいきなり立ち上がり 「ここを動くな」 と水穂に告げると来賓席へと向かった。

潤一郎も籐矢に続き、「香坂さんを頼みます」 とテーブルの友人たちに言い残し駆け出した。


その場を直接目撃した者はほとんどいなかった。

久我会長へ向けられた杖は籐矢の手によって振り払われ、床に転がった証拠品は潤一郎が素早く持ち去った。

異変に気がついた京極長官が身を挺して久我会長を守り、犯行に及んだ男は籐矢によって取り押さえられた。

暴行に客が気がつかなかったのは、『客船 久遠』 について新郎の父である近衛社長から重大発表があったあとであったことと、客が席を離れて自由に動き回っていた時の犯行だったためだ。

クーガクルーズが提案した 『久遠クルーズクラブ』 の内容は画期的で、興味を示した人々が発起人となった近衛社長のもとへ押し寄せホールは大騒ぎになっていた。

その騒ぎの最中の犯行だった。

犯行直後、久我会長の周囲を取り囲んだのは、警視庁近衛公安部長、検察庁京極長官など各省庁の幹部だった。

大勢がいる中の出来事にもかかわらず、人知れず処理できたのは、経験を積んだ彼らの迅速な行動によるものだ。

彼らに後始末を頼んだ潤一郎は、籐矢とともに次の動きに入ろうとしていた。



「水穂、ついてこい!」



潤一郎の友人たちに守られていた水穂は、籐矢の声に勇んで立ち上がり、ドレスの裾をなびかせて走り出した。

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