Shine Episode Ⅱ
籐矢と潤一郎の歩みはかなりの速さで、うしろからついてくる水穂を気遣うこともなく目的地へ一目散に向かっていく。
早足の二人に遅れまいと、水穂もまとわりつく裾を手で払いながら半ば駆け足でついていった。
潤一郎の手にはステッキが握られており、なぜ持参しているのか水穂には不明だったが質問できる雰囲気ではない。
急ぎながらも男二人は息を乱すことなく会話し、話の途中で連絡が入ると即座に指示を与えていた。
目的地までの移動の間に、水穂は聞こえてくる会話から現在の状況を把握し、これからなすべきことをつかみとった。
3人がたどり着いたのは、メインホールから遠く離れたバーラウンジ前のロビーだった。
そこに人の気配なく、掲示板が一つ置かれていた。
籐矢は、必死についてきた水穂の体をさりげなく支えながら、掲示板の後ろに回った。
人影が見え水穂は一瞬体をこわばらせたが、そこにいたのは栗山だった。
「動きは?」
「ありません」
栗山の返事を聞いた潤一郎は、ふぅ……と息を吐いた。
「大丈夫か」
振り向いた籐矢の顔は、心配そうに水穂の様子をうかがっている。
かなりの距離を歩かされ息が上がった水穂は返事もできない。
無理をさせましたねと潤一郎からいたわりの言葉があり、首を振って答えるのが精一杯だった。
「聞きたいことがあるだろう。いまなら答えてやる」
偉ぶった籐矢の聞き方に、いつもなら口応えの一つもするところだが、今しかないと言われ、水穂は疑問を投げかけることを選んだ。
「さっき……なにがあったんですか……はぁ……私の席からは見えなくて。
でも、何か起こったんですよね? 負傷者がでたんじゃないですか」
「久我会長が襲われたが、京極長官が会長の前に出て防いだ」
「えっ! 怪我は? 大丈夫なんですか」
久我会長が襲われたことも衝撃だったが、ふたりに深くつながる人物が負傷したと聞き水穂は顔をゆがめた。
京極警察庁長官は、籐矢の叔父であり、潤一郎の義父である。
「ステッキが当たりましたが、大丈夫ですよ」
「大丈夫かなんて、見た目ではわからないじゃないですか。ここは私と栗山さんで見張ります。
近衛さんも神崎さんも行ってください。長官の手当てを先に」
「おまえ、誰を見張るつもりだ」
「あっ……でも」
「友人の医者に手当を頼みました」
水穂の近くに座って穏やかに話しかけていた男性が、潤一郎の友人沢渡医師だった。
食事の席で警察庁長官が打撲など普通ではない、沢渡医師は不審に思うのではないかと心配する水穂へ、彼なら心配ありませんと潤一郎は落ち着いていた。
沢渡医師だけでなく、籐矢たちのテーブルの面々はおおよその事情を察している、だから心配するなと籐矢もあわてた様子はない。
泥酔状態の蜂谷廉を診たのも沢渡医師ということだった。
「久我会長は誰に狙われたんですか」
「『黒蜥蜴』 のマネージャーです」
『黒蜥蜴』 とは、角田たちのあとに演奏したプロの名称で、久我会長を襲ったのはそのマネージャーだった。
マネージャーがなぜ? と、水穂の疑問がまた増えた。
「ステッキをどうやって持ち込んだんでしょう。目立ちますね、これ」
潤一郎の手にあるステッキを改めてみた水穂は、納得のいかない顔をしていた。
歩行の補助に使う杖にしては装飾が凝った物で、人目を引くのではないかと思ったのだ。
「これは久我の祖父持ち物です。
歩くときの杖として持ち歩いているので、椅子の近くのものをとっさに使ったのでしょう。
本人は、襲ったなんて言いがかりだ、ステッキを拾ったら体にあたったのだと言っていますが、そう言えなくもないが、 僕の目には、彼が故意に行ったように見えました」
「だが、殺傷目的ではない。力加減が弱すぎる。騒ぎを起こすためじゃないかと、俺たちは見ている」
「騒ぎを起こしてどうするつもりだったんでしょう……あっ、ほかへ目を向けないためですか?
神崎さんや近衛さんを足止めするために、とっさにステッキを取ったんですね!
じゃぁ、『黒蜥蜴』 の彼らも仲間ですか。
あっ、でも、決めつけるのは早いかな。マネージャーの立場を利用されたかもしれません。
ジュンの美容院の美容師みたいに、知らず知らずに利用された可能性も捨てきれませんね」
水穂がつぎつぎに繰り出す仮定を聞きながら、籐矢は満足そうだ。
こんなときの水穂は鋭く、目を見張るものがある。
さまざまな仮定をならべたあと、ふと思い出したように声を上げた。
「私たちがここにきたのは誰を見張るためですか」
「当初の目的を思い出したようだな。あの絵を見張るためだ」
絵? と怪訝そうな顔をした水穂へ、籐矢はバーラウンジ前のロビーの壁に掛けられた小さな絵をさし示した。
「一号サイズの絵画が盗難にあったのは知ってるな。栗山の調べによると、あの絵だけ無事だった」
「ほかの絵は紛失したのに? どうして」
それを確かめるためにここに来たのだと籐矢に言われたが、水穂はまだ事情を飲み込めずにいた。
「再度現場を確認するために、絵の設置場所に行ったら、なくなったはずの絵はすべて元の場所に戻されていたんだ」
「絵が戻ってきたんですか? 盗んだ人が罪の意識を感じたんでしょうか」
水穂らしい見解だと栗山は思った。
人を見たら疑えと言ってはばからない先輩諸氏が多いこの世界で、水穂のように考える者は少ない。