Shine Episode Ⅱ
それから待つほどもなく現れた息子、京極虎太郎を叱りつけたのは、久我社長への手前であったためだ。
「失礼いたします」
「遅い! 待ちかねたぞ」
「申し訳ありません。安曇船長をお連れいたしました」
虎太郎のあとに続いて現れた船長は、席に居並ぶ彼らへ深く頭を下げた。
「昨日は、大変ご迷惑をおかけいたしました」
「とんでもない、船長の責任ではありません。さぁ、こちらへ」
久我社長に案内され安曇船長と虎太郎は席に着いたが、京極長官に促され虎太郎はまた立ち上がった。
「報告します」
「見つかったか」
「はい、バラスト水に薬品を混入しようとした形跡がありました」
居並ぶ誰もが息をのんだ。
水穂も虎太郎の報告を聞き事の大きさに身震いがし、そして、あることを思い出していた。
籐矢と組んで、初めて出かけた先で異臭事件に遭遇した。
宗教団体の集会で起こったもので、対応が早かったため体調不良を訴える者はいたが健康を害するほどではなく、しかし、現場から武器の密輸に関係した証拠品などが押収され、水穂にとって忘れられない事件だった。
あのときに似ていますね……そう籐矢に言おうと顔を寄せようとして腕をつかまれた。
顎をしゃくり、虎太郎の話を聞けと籐矢の顔が言っていた。
バラスト水とは、船の安定を保つために船底に貯める水のことである。
積荷が多い場合は水を減らし、荷物が少ない場合は水の量を増やして船を安定させる。
船底に貯める水は、出航した港の海水を使い、着いた先で放出するため、ところによっては生態系に影響が出る。
実際、バラスト水の放出により他国のプランクトンが入り込み、港付近の海藻が外来種に変わってしまった例もあった。
それらの影響を抑えるため、最近ではバラスト水の浄化装置を船に取りつけている。
『客船 久遠』 にもその装置はあるが、それらを作動させずにバラスト水を放流したらどうなるのか。
水の中に薬物を混ぜたなら、その影響たるや恐ろしいものとなる。
「薬物テロですか」
「はい、未遂ですが」
「久遠がそんなことに使われていたら……」
「多くの犠牲者がでたでしょう」
「間違いなくウチの会社は破滅だな」
久我社長の言葉に、誰もがしばし言葉を失った。
「しかし、そうはならなかったのですから、どうぞご安心を」
京極長官の落ち着いた声に、みなうなずいた。
「彼らの目的は、船の乗っ取りですか? シージャックを企てていたとでも?
それとも、披露宴で騒ぎを起こしクーガクルーズに打撃を与えて、この船を安くで買うつもりだったのか……
まさか、考えすぎだな」
「叔父さん、当たらずとも遠からずだと思いますよ」
「なに?」
「これまで何度もオーナーが変わっているでしょう。そのすべてがスキャンダルが原因だ。
売られるたびに値は下がり、船の評判はどんどん落ちています」
「ウチも破格値で買ったが、今回の騒動が表ざたになれば、さらに買い叩かれただろうね。
だが、それでも客船一隻、安くはないぞ。どこの金持ちがテロリストの資金を援助してるんだ?」
「それをこれから調べるんですよ。うまく買えたら儲けものです。
この船には財産が隠されているんですからね」
「あっ、そういうことか」
「失敗に終わりましたが、もし成功していたなら」
多少の資金をつぎ込んでも、使った資金をおぎなえる額が客船には隠されているのだと、そんなニュアンスで潤一郎は語った。
「いやはや、とんでもないことが起ころうとしていたものです。
未然に防げて本当によかった。みなさん、船を守ってくださってありがとうございます。
このご恩は、いつかお返しできたらと考えております」
「いえ、そのようなことは無用に願います。何事もなかった、それでいいではありませんか」
「何事もなかった……そうですね」
それでも、何度も頭を下げた久我社長は、今後についてもう少しお話がありますと言う京極長官に従い、安曇船長と連れ立って部屋をあとにし、潤一郎と籐矢も久我社長たちを見送るために部屋を出ていった。
水穂と虎太郎と水野が残っていたが、男性二人も船内捜索に戻ると言い席を立ちあがった。
「ふたりで仲良く捜索? 警視庁と警察庁、共同捜査でもしてるの?」
「そうですね。極秘任務ですから、香坂さん、他言無用に願います」
答えたのは水野だった。
「言うわけないでしょう。ねぇ、あなたたちのこと、まだ聞いてないけど」
「はっ? 僕たちですか?」
「そう。水野君と虎太郎君がここにいるのはどうしてかなと思ったの。
久我社長に報告する席なのに、警察幹部がいないのはおかしいでしょう。
近衛公安部長やウチの父が知らないことがあるんじゃない?
あなたたち、なにを隠してるの?」
「あっ、あとは義兄から聞いてください」
虎太郎はうろたえ、水野と逃げるように部屋を出ていった。
警察幹部にも伏せられ、久我社長にも伏せられたことがある。
双方に都合よく説明し、事実の一部を隠したのではないかと水穂は考えていた。
ということは、政府機関へ報告した内容も全部ではなかったのだ。
隠蔽工作の匂いに、水穂は眉を寄せた。