Shine Episode Ⅱ
『正義はそれぞれの胸の中にある』
この三日間を、水穂は籐矢の言葉の意味を考えることに費やしたと言ってもよい。
事件についても、聞きたいことがあるんだろうと言っておきながら、それについていまだ語らず、いつ教えてくれるのかと詰め寄っても、「もう少し待て」 と言うばかりだった。
『客船 久遠』 の一室にて、船のオーナーである久我社長や安曇船長をまじえ、客船で起きた騒動の顛末が潤一郎や籐矢から報告された夜、蜂谷財団理事長 蜂谷廉 の逮捕が報じられた。
逮捕容疑は、財団へ支給される補助金の不正流用で、蜂谷理事長の祖父の会社が海外向けに開発した商品を、財団の留学生を使って海外に持ち出していた。
商品開発において補助金が使われたため逮捕に至ったとのキャスターの解説に、自宅でテレビをみていた水穂は 「えっ、どうして」 と大きな声をあげた。
キッチンから母が驚き顔を出した。
「どうしたの、びっくりするじゃない」
「あっ、ごめん。ちょっと知ってる人だったから」
「あなた、知り合いなの?」
「昨日の結婚式で一緒だったから」
「まぁ、そうなの。音楽財団の理事長でしょう? 留学のあっせんもしていたらしいわね。
いいところのお子さんが多かったそうじゃないの。そんな子を運び屋に使うなんて、考えたわね。
楽器ケースが二重底になっていたんですって。でも、空港の探知機でわからなかったのかしら。
検査員が見逃したってことでしょう? 検査員の再教育が必要ね」
一足先にニュースを見たらしい母は、内容を見事に把握していた。
水穂の母も警察官出身で事件と聞くと見逃さず、染みついた習性か、報道される内容を深く読み取る力は水穂にも負けてはいない。
今後の財団の運営も気になるわねと、そんなことを口にしてキッチンに戻っていった。
テレビは引き続き蜂谷理事長の罪状を明らかにしている。
『知人の結婚式に出席していた蜂谷理事長は、船上披露宴が行われた船から下船したところを拘束され……』
と、逮捕時の状況は正確に伝えられたが、その理由については水穂が知るものとは大きく異なっていた。
運び屋として留学生が関わっていたが、彼らは何も知らずに手伝わされていたと報じられ、指示役のリーダーであった 『黒蜥蜴』 のメンバーの身柄を拘束し、ただいま取り調べ中であると、キャスターが事件の概要を端的に伝えていく。
大きく取り上げられるでもなく、ごく一般的なニュースとして扱われ、さして人々の記憶に残る報道ではなかった。
翌日、京極警察庁長官の退任を伝えるニュースに、水穂はまたテレビの前で声をあげた。
重大事件が重なったことから昨年任期を延長していたが、情勢も落ち着きついてきたことから、任期を半年残し長官の任を退くことになったと、こちらについては詳しく報じられた。
テロ対策に力を入れ、数々の事件の指揮をとってきた人物であると京極長官の経歴も伝えられた。
そして今日、父を通じて近衛公安部長の辞任を知らされた。
任期を半年残しての退任は健康上の理由であり、健康診断で異常がみつかり、精密検査の結果要治療と診断されたことから、治療に専念するための早期退任であると父の説明だった。
「同期の彼が先に辞めるのは、非常に残念だよ」
父の声は沈んでいたが、苦渋の決断だったと加えたことに水穂は何かを感じ取った。
近衛公安部長は潤一郎の叔父である。
客船の事件では、警察と現場捜査員のパイプ役として活躍した人物だが、健康診断で重大な病が見つかり要治療であることを潤一郎が見過ごすはずがなく、退任理由は後付であることは疑いようがない。
「責任をとっての辞任ですか」
「はぁ? なんの責任だ。病気が理由だと言っただろう」
「蜂谷理事長の逮捕容疑のすり替えです。近衛部長の辞任と引き換えに、幹部を説き伏せた、そうですね」
「急にかしこまってどうした。近衛の病気は本当だ、肝臓疾患だそうだ。
自覚もなく進行するらしい。君も気をつけろと言われたよ」
「わかりました、そういうことにしておきます」
「おまえ、明後日の夜の飛行機だったな。
明日はお母さんに付き合っておいで、買い物に行きたいそうだから」
ゆっくりしてくるといいと、父ののんびりした話が続いた。
仕事では幹部と一捜査官であるが、家では父と娘であり会話に遠慮はいらない。
父がことさら父親の口調になったことで、水穂は確信したのだった。
蜂谷理事長の逮捕と京極長官の退任、そして、近衛部長の辞任、この3つの出来事に関連があるとは誰も思わないだろう。
事件に関わった捜査員でも気がつくかどうか……
水穂は父の話を聞きながら、その裏側にある事情を推測していた。
京極長官と近衛部長の退任には、ほかの理由があるのではないか。
それは、蜂谷理事長の逮捕と深くつながっているに違いない。
しかし、そうかと父に聞いても教えてはくれないだろう。
籐矢がいう正義のために、二人の警察幹部が自ら退いたのではないかと水穂は考えていた。
「車、借りてもいい?」
「うん? こんな時間にどこに行く」
「リヨンに行ったら、またしばらく帰って来られないから、友達に会ってくる」
「もう10時だぞ。若い娘が出歩く時間じゃない」
親子の会話に戻った水穂にホッとしながら、父は水穂の行き先を心配し、会話を聞いた母までが、遅いから明日にしなさいと口をはさんできた。
「ユリとジュンだから心配しないで。
彼女たち、明日は仕事だから、会えるときに会っておきたいの」
深夜近くの外出に眉をひそめる両親へ、「行ってきます」 と言い残して水穂は家を出た。