Shine Episode Ⅱ
思いっきり叩いたな、痛いじゃないか、と籐矢が言い返してくるだろうと思っていた。
ところが、
「そこで少し待ってろ。美味しい紅茶を淹れてやる」
何もなかったようにそう言われて水穂は調子が狂った。
かといって 「私、怒ってるんですけど」 と蒸す返すのも大人げない気がして、仕方なくソファに座ったが、待ちながら苛立ちが静まってきた。
籐矢にからかわれるのはいつものことで、水穂が怒るのを楽しんでいるとわかってはいるが、毎回、毎回同じ手口に引っかかる。
もっと大人にならなくてはと思うものの、籐矢を前にすると、つい口も手もでてしまうのだ。
なんのためにここへ来たのか……
蜂谷理事長の逮捕容疑について、京極長官と近衛部長の辞任について、事実はどうなのかと聞くためだ。
頭の中で用件を整理していると、紅茶の香りとともに籐矢がトレイを手にやってきた。
僅かに鼻をうごめかせた水穂を見て、自慢げにこんなことを言う。
「どうだ、香りがいいだろう。封を切ったばかりだからな」
それには返事をせず、水穂は無言のままトレイからカップとソーサーを取りテーブルに並べ、ポットを持ち紅茶を注いだ。
籐矢が淹れた紅茶は色も香りも申し分なく、さすがだと思わざるを得ない。
リヨンに行ってから水穂の腕も上達したが、籐矢にかなわないと思った。
「いただきます」
思わず、美味しい……と漏らすと籐矢も満足そうで、当然のように水穂の隣に腰掛け、腕が触れるほど近くに寄ってきた。
「こんなに広いのに、もっと離れてください」
「俺に話があるんだろう? 近くにいた方が聞きやすい」
「はぁ? 賑やかな場所にいるならともかく、反対側に座っても十分聞こえます」
不機嫌な声でテーブル向うの椅子を目で示し、意地悪くひじで籐矢の脇腹をつついた。
「そう突っ張るな。前を向いて話した方が、話しやすいこともあるんだよ」
もう一杯どうだ、美味いだろうと、籐矢の余裕の対応があり、水穂は 「ください」 と素直に応じた。
向き合って顔を見ながら話すより、並んで前を向いて話した方が話しやすいことはある。
籐矢の言葉をなるほどと思いながら、二杯目の紅茶を味わった。
真夜中のティータイムは少しぎくしゃくしながら始まったが、ポットの紅茶がなくなる頃には、水穂の機嫌は直っていた。
「紅茶、美味しかったです」
「富士見坂に顔を出したら、持って行けといわれて、もらったものだ」
富士見坂というのは、籐矢の母方の祖母がいるところで、そこは見晴らしのよい場所に建つ高齢者専用の居住施設だ。
足が弱ったほかは健康であるが記憶があいまいになり、過去と現在を取り違えることがたびたびある。
専門スタッフが常駐して設備も充実しているため暮らしに不自由はないが、日本にいる間、籐矢は時間を見つけては富士見坂の祖母のもとへ通っていた。
水穂もリヨンへ赴任する前に行ったことがあり、その時、紅茶の淹れ方を習ったのだった。
「おばあさま、お元気でしたか。私もお会いしたかったです」
「水穂は一緒ではなかったのかと言われた。次は必ず連れてこいってさ。
俺の顔は思い出したり思い出せなかったりだが、おまえのことは覚えている。
なんでだろう」
「私が可愛いからに決まってるじゃないですか」
「はぁ? どこが。自分で言うか? 鏡を見ろ、鏡を!」
おおげさに反論されたが、水穂は腹が立たなかった。
むしろ、言い返された方が心地良いとさえ思う。
まったく、どのつらをさげて言うのかと籐矢の口はますます悪くなっていたが、これはいつものことで、水穂との掛け合いに調子が戻ってきた証拠でもある。
いつ言い出そうかと考えていたことを口にした。
「おばあさまは、京極長官がおやめになったこと、ご存じなんですか」
「いや、まだ言ってない。息子が第一線で活躍しているのは、親にとっては嬉しいものらしい」
富士見坂の祖母は京極長官の母であり、京極長官は籐矢の実母の弟で叔父になる。
警察庁のトップに上り詰めた息子がいるのだと、誰彼に自慢したりするような人ではないが、息子を誇りに思っていた。
任期を前に辞職したと知れば、何かあったのではないかと思うのが親であり、余計な心配をかけたくないと言う配慮だった。
「ですね……でも、急でしたね。やっぱり、事件の責任をとって辞任されたんですか」
「責任をとってというより、けじめをつけたと本人は言っているよ」
「けじめですか」
「事件解決において権限を越えた行動があった、というのが一番の理由だが」
「でも、現場の判断で動くことは大事じゃないですか。越権は、あの場合は仕方なかったと思います」
「海の上の、ごくプライベートな空間での事件だが、公人より私人の感情で動いた。
麻衣子の敵を討つつもりだったと、叔父が言っていた」
数年前に起こったテロ事件で犠牲になった籐矢の妹 麻衣子は、京極長官にとって姪である。
テロ事件と今回の客船の騒動は、同一人物の犯行ではないかと籐矢もにらんでいた。
必ず捕まえて、事件の解決と麻衣子の敵討ちを果たすつもりだ、それには手段を選ばない、そんな気持ちが叔父にも自分にもあったのだと、籐矢は苦々しく語った。
水穂が初めて聞く、この事件における籐矢の心情だった。