Shine Episode Ⅱ


昨夜、遅い時刻に出かけた水穂が帰宅したのは、翌日のもうすぐ昼になろうかという頃だった。

お帰りなさい、今朝だけど……と話しかけようとしたが 「ただいま。飲みすぎちゃった」 という水穂の声が先で、 車なのに飲まされた、話が尽きず明け方まで付き合わされたなど、朝帰りの理由を並べる娘を、香坂曜子は面白そうに眺めていた。

親の贔屓目を抜きにしても人並み以上の容姿を備えた娘で、それなりに着飾ったなら行きかう男性が振り向くだろう美しさがあるのに、特殊な職場にいることもあるが、なにより本人におしゃれへの興味が薄く、身だしなみ以上に気を使うことはこれまで全くなかった。

それがどうだろう、外国暮らしによる変化もあるだろうが、女性らしい華やかさをまとって帰国したことに、曜子は娘の変化を感じ取っていた。

口紅とファンデーションだけだった化粧にチークが加わり、ほのかに香りまで漂わせているのだから、娘の身辺に親密な男性がいることは容易に想像できた。

それが誰であるかということも曜子にはわかっていたが、水穂の口からいまだ報告はない。

披露宴出席のためのカクテルドレスを仕立ててもらったという男性の母親へ、親として相応の礼を伝えなければと思うが、帰国後も忙しく親子でゆっくり話をする暇もなく動きようがない。

昨夜は、そんな話もしたいと思っていたのに、急に飛び出していき、夜中には帰ってくるかと思えば朝帰りである。

大人になった娘の行動をとやかく言うまい、物わかりのよい母親でいたいと思うが、母親の顔色を窺うように言い訳を並べる水穂に不満もあった。

少し嫌味でも言おうかと思っていたところ、勤務明けの息子の圭佑が帰ってきて水穂の相手をはじめた。



「姉さん、今起きたの? もう昼だよ」



眠そうな顔の水穂へ呆れたように声をかけ 「あぁ、疲れた」 と心底疲れた声が続いた。



「ジュンたちに付き合わされたのよ。

飲みすぎたから、酔いをさましてから帰ってきたの。アンタは仕事?」


「朝帰り? 優雅だね。こっちは張り込みで飯も食べそこなったのに」


「お疲れさま。圭佑、いま、何を追いかけてるの?」


「言えるわけないでしょう。僕の仕事、わかってるよね」



えぇ、まぁ……と水穂の気まずそうな声がする。

公安に籍を置く圭祐は、内偵など口外できないことも多くあるが、本人の生真面目さから身内にも滅多に仕事の話をしないことは水穂も重々承知しているはずだった。

朝帰りの話題を替えようと仕事に話を振ったつもりが、圭祐から軽蔑の目を向けられ、さらには、水穂をあわてさせる発言が続いた。



「ジュンさんって、内野さんでしょう?」


「そうよ、内野淳子。ジュンもユリもお酒強いから、付き合うのも大変よ」


「内野さん、僕と朝まで一緒だったけどなあ。

じゃぁ、夜勤明けに飲みに行ったのか。あの人もタフだね。

あれ? けど、ご主人の出勤までに家に帰るんだって言ってたのに」



水穂がゲホゲホとわけもなく咳をする。

圭祐の食事をテーブルに並べながら、曜子は水穂の様子をじっとうかがっていた。

弟へどうごまかすのか、それとも朝まで誰と一緒だったのか白状するか、これは見ものだと期待したが、水穂もたいしたもので見事に切り返した。



「公安のアンタと交通課のジュンが一緒に仕事? なんの仕事か気になるわね。

黒蜥蜴のしっぽでも追ってるか、仲間を探っているのか」


「えっ」


「どうして知ってるのかって顔ね。言えるわけないでしょう。アンタ、私の仕事を知ってるでしょう」



上目づかいに圭祐を見た水穂は、母親が持ってきたポットを両手にとり、マグカップにコーヒーとミルクをなみなみと注いだ。

カフェオレはこうやって作るのよと自慢顔だ。



「そうはいっても、お互い聞きたいこともあるみたいだから、ねぇ、オフレコでどお?」


「ここだけの話か……うーん、わかった」


「ふっ、アンタも柔らかくなったじゃない」


「別に……お母さん、わかってると思うけど」


「わかってるわよ。何も聞こえません、見てません。私は置物だと思ってちょうだい」


「置物なんて思ってないよ。黙っててくれればいいから」



同席する曜子に念を押すところは、やはり圭祐は堅物だと思いながら水穂は本題に入った。



「『客船 久遠』 の披露宴から今日まで、出国した客がいるわね。わかる?」


「井坂匡と小松崎教授が、昨日相次いで出国した」



水穂が、井坂だけでなく小松崎を知っている前提で話が進んでいる。

もちろん水穂も、圭祐が客船の事件にかかわっていることは薄々感じており、いまさら驚きはしない。



「公安は、小松崎先生も追ってたの」


「渡欧回数が半端じゃないからね。

出入国は留学生の世話という名目だけど、教授の地位にある人がそう頻繁に動くとは思えない。

別の目的があるだろうと睨んでたんだ」


「マークしていたら、こっちの事件と重なったのね」


「うん。小松崎教授は近衛家の披露宴には招待されていないけど、招待客数人と接触した形跡がある。

接触の目的は現在調査中だよ」



任務内容を言えるわけないだろうと言っていた圭祐も、捜査に深く関連する事柄であると見極めたのか、水穂が知りたい事を的確に伝えてくる。

そして、水穂からそれ以上を聞き出すつもりだろう、圭祐の口はなめらかだった。



「井坂先生は? あの人も頻繁に出入りしてるでしょう」


「そうだけど、理由がまっとうなんだよね。

留学生のトラブルの処理のために、日本とヨーロッパを行き来している。

その都度別の理由が発生しているから、おかしいところはないんだ」


「だから余計に怪しい」


「うちのボスもそう言ってる。姉さん、井坂匡を追ってたのか」


「いえ、これから追うの。神崎さんが彼を危険視してるのよ」


「今朝、神崎教官と会ったよ、といっても10時頃だけど」



圭祐は神崎が警察学校の教官だったころの生徒で、いまだに神崎を教官と呼んでいる。



「神崎さんが公安に?」



意外な顔をすると、知らなかったの? と圭祐に聞き返された。



「えっと、神崎さん、秘密主義なところがあるから」


「うちのボスを訪ねてきて、ふたりで深刻な顔で話し込んでた」



水穂と別れたあと、公安へ足を運んだということだ。

籐矢は、出発までにできるだけ情報を集めようとしているのか。

井坂について何かわかっただろうか、圭祐の話からは見えてこない。

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