Shine Episode Ⅱ


「井坂匡は、7,8年前頃から頻繁に渡欧している。

財団に入った当初は、国内で手続き業務を主にしていたみたいだけど、ある時期を境に海外へ行くことが多くなった」


「担当替え?」


「うん、学生の留学先の調査とか世話とか、現地スタッフに近い仕事だね。

けど、プライベートでも渡航している。そっちの回数も少なくない」


「プライベートでも……国はどこ?」


「東欧を中心に動いてる」


「現地に恋人でもいるのかしら」



水穂とは思えぬ発言に、曜子は驚きながら顔がほころんだ。

以前の水穂なら、事件の展開を聞いても色恋に結び付けたりすることはなかった。



「恋人の存在は確認してないけど、もし恋人がいたなら、楽しそうな顔で出かけるんじゃないかな」


「そうじゃなかったの?」


「その頃の井坂は、顔が険しかった、悲壮な様子だったという証言があるんだ」



蜂谷理事長の逮捕を機に、周辺の人物をあらためて調べ直し、数年前の井坂の様子も、今回新たにわかったことだった。



「悩みでもあったのかしら。日本にいたくなくて外国に行っていたとか?」


「個人的な理由まではわからないよ」


「プライベートで何かあったんじゃないの? 人って、何かのきっかけで変わるものよ」



曜子がさりげなく口をはさんだ。



「母さん!」


「あら、ごめんなさい。つい……はいはい、聞こえてません」



圭祐に詫びるように、けれど、それほど真剣ではなく曜子は肩をすくめた。

水穂は考え込むように一点を見つめている。



「わかった、私も調べてみる」


「そうだ、神崎さんんから姉さんに伝言を頼まれたんだ」


「えっ、なによ……」



籐矢の伝言と言われて水穂は動揺した。

朝まで一緒だった男性からの言づてとはなにか、ベッドで言えなかったことだろうか、そう考えただけで朝の親密な時間が思い出され、胸が甘く疼いた。



「見つかった、預かっている……といわれたけど、わかる?」


「えっ、えぇ、わかるから。ありがとう」



髪を上げるために使ったバレッタをベッドに入るときはずしたが、どこかへまぎれて見つからない。

籐矢のマンションを出るまで散々探したが出てこず、乱れた髪をなびかせたまま帰宅したのだった。

見つかったら知らせてと頼んだが、まさか弟を通じて伝言されるとは思わなかった。

たまたま居合わせた圭祐に言づけたのだろうが、少しは気を使って欲しいものだと、腹立たしいやら恥ずかしいやらで顔が上気してきた。



「証拠品とか? 大事なものなんだね」


「うっ、うん、そうね」


「あれ?」


「何よ」


「ここ、赤くなってるよ。虫刺されかな、二カ所赤くなってる。ここだけど」



水穂のうなじに手を伸ばそうとした圭祐の手を、水穂の手がとっさに掴んだ。

帰る間際まで探していたがバレッタは見つからず、落胆する水穂を励ますように抱きよせた籐矢は、肩になびく髪をかきあげ唇を寄せた。

うなじがひりひりするほど吸い上げられ、たまらず声をもらしたが、その痛みは快感でもあった。

密やかなときを刻んだ肌に、弟といえども触ってほしくない。



「蚊よ、蚊。ほら、今日は蒸し暑いから、気にしないで」


「でも、かゆそうだよ」


「いいから!」



姉弟のやり取りを背中で聞いていた曜子は、笑いを抑えるのに必死だった。

娘も色恋には晩生だったが、息子も似たようなものだ。

うなじが赤く染まっていたら、それは蚊ではない……と説明してもわからないだろう。

曜子は娘と息子の反応を楽しみに、閉じていた口を開いた。



「そうそう、今朝ね、神崎さんからお電話をいただいたのよ」


「えっ?」


「話が長くなり引き止めてしまいました。申し訳ありませんとおっしゃって」


「そっ、そう、そうなの。

神崎さんのところに寄ったら、家政婦さんから朝食を食べていくように言われて、ごちそうになったの」


「朝からごちそうになったの? ご迷惑だったでしょう」


「あのね、その家政婦さんはひろさんといって、私もよくお世話になってたから」


「そんなに何度もお邪魔していたの?」


「えっ、そうじゃないけど。ときどきよ、ときどき」



お腹がすいたと言って帰宅した水穂が、朝食をごちそうになったと言うのは不自然で、これは水穂の創作だろうと曜子は気づいていた。

それを追及するつもりはなく、問いただしたりもしていないのに、水穂のあわてようは尋常ではなかった。



「姉さん、神崎さんとも一緒だったのか。僕も一緒に飲みたかったな、次は呼んでよ。

といっても、次の帰国は年末かな、そのときでもいいから」


「えっ、えぇ、そうね。そうする」


「はぁ、美味しかった。ごちそうさま。じゃぁ、僕、寝るから」



片手をあげてダイニングから出ていく圭祐を、水穂がほっとした顔で見送っている。

水穂は恋愛も経験し、それなりに順調のようだが、圭祐にはまだまだその気配はなさそうである。

圭祐がいなくなり、ふたりだけになったダイニングは静かだった。

母と娘の話をするにはちょうど良い。

私も眠くなってきたと、わざとらしくあくびをしながら腰を浮かせた水穂を曜子が引き止めた。



「眠気覚ましにコーヒーを淹れるわね。待ってて」



娘と母の時間を過ごすために、曜子はコーヒーの準備を始めた。


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