Shine Episode Ⅱ
暗闇に向かって飛び立った機体が斜めに傾いたまま上昇を続ける中、重力に逆らうように体を起こし、座席横の窓に顔を押しつける水穂の姿は苦しそうでもある。
小さくなっていく東京の街が名残惜しいのか、家族と過ごす時間が少なかったことに心を残しているのかと、籐矢は水穂の心の内側を思いやった。
懸命に眼下を眺める横顔に声をかけた。
「家でゆっくりできなかっただろう」
「はい? なんですか」
声を聞きとれず身を乗り出した水穂へ顔を近づけ、もう一度同じセリフを口にした。
「えぇ、でも、今回は半分仕事でしたから」
「もっと時間があれば良かったんだが」
「しかたないです。それより、そろそろ教えてください。私たち、どうしてファーストクラスに乗ってるんですか。
何もかも特別待遇で、ここにくるまでドキドキしました」
互いに顔を寄せなければ、隣りの声も聞こえないほど席がゆったりもうけられたフロアは、エコノミー席とは比べものにならない贅沢な空間だ。
長時間のフライトでも快適に過ごせるよう設計された座席は快適で、時差に対応するため飛び立ったならすぐにでも寝ようと決め込んでいた籐矢は、水穂の疑問が解決しない限り寝るどころではなさそうだ。
なぜハイクラスの席になったのか、あとで答えてやると言ったのは籐矢である。
けれど、いまだ上昇を続ける態勢で話をするには無理があり、「水平飛行になるまで待て」 と言い、近づけた顔を離した。
籐矢はあらかじめ座席変更を聞かされていたが、それを水穂に伝えなかったのは断るのが目に見えていたからである。
何の説明もなくファーストクラスのカウンターで搭乗手続きをはじめた籐矢を見て、「どうして?」 と怪訝そうな顔の水穂を無視して、「ねぇ、どうして?」 と何度も問いかける声に 「黙ってろ」 と乱暴に命じ、みるみる膨れる顔に 「あとで答えてやる」 と鷹揚につけたして手続きを終えた。
特別な待合室、専用の通路、座席へ誘導するキャビンアテンダントの飛び切りの笑顔にも顔が引きつっていた水穂は、席に座ると観念したのかそれからは無言だった。
そしていま、神妙に答えを待つ顔へ、さらに 「待て」 と言い落胆させたのが気になり、眼差しだけを横に向けると、籐矢の言いつけどおり前を向いている様子が目に入った。
ハイクラスの座席が用意された経緯を話したなら、きっと目を吊り上げて怒るだろうが、満席で飛び立った飛行機の中で、いまさら他の席へ移ることは困難であることくらい水穂にもわかるはずだ。
これから訪れるだろう水穂の怒りを、どれほど和らげるかが籐矢のさしあたっての課題だ。
だが、客船で起こった事件の複雑さに比べれば、毛ほどの悩みでもない。
安定飛行になるまでしばらくくつろぐことに決めて、シートに深く体を沈めた。
テロを警戒して乗り込んだ客船で事件は起こった。
人気のない場所と客室前の廊下に不審物が置かれ、結果的に異常はなかったが監視カメラによる監視も意味をなさず、捜査員は振り回された。
そんな中、水穂と三谷弘乃の姿が消えた。
監禁されていたが、水穂の機転と見張り役の学生の協力により救出に至り、水穂と弘乃を捕えた一味の正体も浮かび上がってきた。
監禁は留学生を中心とした若い男たちが犯人で、籐矢たち捜査員が立ち向かい捕縛した。
その裏で恐ろしい計画が進んでいた。
客船のバラスト水 (船の均衡を保つための水) に毒物を混入し、寄港地にばらまこうとした形跡がみつかった。
捜査員の懸命な働きで薬物テロは未然に防がれ、『客船 久遠』 に隠されていた莫大な資産まで見つけ出した。
しかし、事件そのものは公にならず、密かに処理されたのだった。
不審物を仕掛け水穂たちを監禁したのは、角田を中心とした数人の留学生グループで、彼らの動悸は 「世の中を騒がせること」 にあった。
テロ組織の手先であっても、組織幹部の正体は彼らも知らず指示に従って動いていたのが、今回は言われるままに動くことに不満が募り、暴走し事件を起こした。
指示に従わない角田たちをいさめたのが、留学生を束ねていた 「蜂谷財団」 の理事長 蜂谷廉で、蜂谷はテロ組織のリーダーのひとりではあるが、彼もまた、籐矢が追いかけてきた幹部ではなかった。
客船の裏で起こった事件そのものは、角田たちの暴走が引き起こしたもので、彼らの指示系統を無視した行動が騒動を複雑にしていた。
しかし、角田たちを煽り暴走させた人物がいたことも確かである。
それが誰であるのか、いまだ不明だった。
その人物こそ、客船のバラスト水に毒物を仕掛けをした犯人であると、籐矢も潤一郎もにらんでいたのだが……
主犯格の犯人を特定できないまま、客船の事件はひとまず幕を閉じた。
『客船 久遠』 が次々とオーナーを替え、造船後長く進水できず船の使命を果たせなかったのは、客船のいたるところに隠された財産を狙う者たちの妨害のためだった。
その財産は、今回の事件で明るみになり回収された。
籐矢たち捜査員の手柄と言ってよい。
黒幕へはたどり着けなかったが、一応の成果を上げることができたと、上層部から評価を得たのは、披露宴の招待客に気づかれることなく事件を処理したことによる。
大臣経験者や企業のトップが出席した披露宴が滞りなく済んだことは、当初の目標でもあった。
けれど、警戒していたとはいえ備えに万全ということはなく、警察と民間の捜査員が一丸となり事件に立ち向かったが数名の負傷者を出した。
水穂と三谷弘乃は犯人一味に監禁され、両手両足を縛られ苦痛を強いられた。
客船のオーナーの父親久我会長は敵の標的になり、防御した京極警察庁長官ともども怪我を負った。
いずれも軽症だったことは幸いだったが、恐怖を味わったことはぬぐえない。
新郎の家の家政婦である弘乃は、救出後気丈にふるまっていたが、疲労の色が濃く拘束によるストレスを抱えていることは明らかだった。