Shine Episode Ⅱ
弘乃に会ったその足で 『榊ホテル 東京』 に向かったのは、潤一郎からの誘いで家族の食事会に出席するためだった。
表向きは会食だが、主催者は潤一郎の両親と久我社長による慰労会で、どうしても籐矢に直接礼を伝えたいといわれて応じた。
「ぜひ、香坂さんも一緒に……」 と強い誘いがあったが、水穂の意向を聞くことなく同席を断りひとりでやってきた。
個人的な誘いとはいえ、近衛ホールディングス社長夫妻と久我グループ社長との会食は、見る者によっては 「接待」 と受け取られかねない。
誤解を招く行動は極力避けなければならない、そう思えばこその判断で、籐矢ひとりなら親戚付き合いであると弁明できるからだ。
潤一郎の妻紫子は籐矢の従姉妹であり、近衛夫妻は紫子の義理の両親である。
久我社長は近衛夫人の実の弟という顔ぶれであるから、親戚が集まっての食事会であると言えるが、水穂を伴っていてはその言い訳は通用しない。
もっとも、警察官の自覚に満ちあふれた水穂が、企業トップとの会食の招きに応じるとは思えず、籐矢の出席を知ったら眉をひそめるだろうことも予想された。
夏の盛りだと言うのにジャケットを着込んでの食事を億劫と思う気持ちがなくもないが、近衛家の誠意を受けるためにも礼儀を尽くすことは必要である。
ネクタイを締め直しジャケットの襟をただしながら、籐矢は格式あるホテルの玄関に向かった。
「神崎さま、ようこそ」
「こんにちは、もしかしたら宮野さんに会えるのではないかと思っていました」
「おそれいります」
先日はご挨拶もできず……と、続いたのは、宮野も 『客船 久遠』 の披露宴に乗り込んでいたためである。
船内を慌ただしく行き来する籐矢を見かけても、近寄って話しかけることはなかった。
そのとき、船内で何事か起こっているのではないかと宮野は察知していただろうが、それには触れずドアマンの仕事に徹している。
その気配りに籐矢は宮野の職人気質を感じ取った。
「お元気そうですね。宮野さんは、生涯現役ですか」
「はい、そのつもりでおります」
『榊ホテル 東京』 のベテランドアマンの宮野は、神崎家の長男である籐矢を古くから知っていた。
ホテルを訪れる客の顔と名前をたちまち覚えてしまう宮野の頭には、数千人もの客の情報が詰まっている。
得意客ともなると、その情報は詳細なものになり、客の経歴のみならず、家族構成、交友にいたるまで把握しているのだった。
子どもの頃は両親に連れられて 『榊ホテル 東京』 に通ったが、この数年は仕事の忙しさから足が遠のいていた。
久しぶりの客である籐矢を、宮野がロビーまで案内する。
その途中、宮野の視線が一点をとらえ、言いようのない複雑な顔をした。
籐矢は気になる視線の先を追って目を見張った。
客船の船室に、井坂匡と一緒にいた石田みづきだった。
籐矢と警備員が踏み込んだ楽屋で、泥酔した蜂谷廉を膝に抱いていたのも石田みづきで、そのとき、鏡の後ろの部屋に水穂と弘乃が捕えられていたはずである。
少なからず事件にかかわっており、犯人側のひとりではないかと疑われていたが、井坂匡の証言から関与はないとみなされたのだった。
籐矢にとっては、井坂と同じくらい疑わしい人物だったが、証拠不十分ではどうすることもできなかった。
宮野の様子から、石田みづきについて何か聞けるのではないかと思っていたが、宮野は意外な人物の名を口にした。
「あれは……」
「井坂さまの奥様でいらっしゃいます」
宮野が答えたのは、石田みづきの横にいた婦人についてだった。
「井坂さんの奥方にしては、ずいぶん歳が離れていますね」
「私の言葉が足りず、失礼いたしました。
先日も船でご一緒させていただきました、井坂匡さまのお母さまでございます」
「不思議な取り合わせですね。
井坂さんの母親が、どうして石田みづき……みづきさんと一緒に?」
「おふたりは、ご親戚でいらっしゃいます」
「親戚?」
「はい、石田さまの一番上のお嬢様は、井坂匡さまの奥様でいらっしゃいました。
みづき様のお姉さまです」
「義理の兄妹……」
井坂匡と石田みづきが義理の兄妹という事実に、籐矢は拳で殴られたような衝撃をうけた。
そんなつながりがあったのか……
客船の事件に関係し、ふたりは協力者だったということか。
かばいあった? いや、とっさにできる状況ではなかった。
猛烈に動き出した頭で、籐矢は宮野の言ったもうひとつも気になっていた。
奥様でいらっしゃいましたと、宮野はそう言ったのだ。
「井坂さんの奥方は」
「奥様がお亡くなりになられて、もう何年でしょうか。そういえば……」
「なにか?」
「はい、ちょうど今頃だったと思いまして……
ご葬儀のあとでしたか、こちらへ、ご親族のみなさまがお集まりになられましたので」
いつのまにか立ち話になっていた。
これ以上、宮野を引き止めるわけにはいかない、そう思った籐矢は 「ありがとうございました」 と大きな声で礼を述べ宮野を解放した。
「失礼いたします」 と、律儀な礼が返され、宮野が持ち場へ戻るのを見送りながら、籐矢は客船のテロ未遂事件にふたりを結び付ける鍵を探った。
財団に深くかかわり、留学生の世話をしていた井坂匡が、その学生たちが客船でテロを起こそうとしていたことに気づかないはずがない。
完璧なアリバイと多数の証言でおとがめなしとされたが、それは、疑われることを予測して周到に用意されていたからではないのか。
それとも、重なった偶然が井坂匡を 「疑わしい」 と思わせてしまったのか。
井坂匡と義妹の石田みづきの関係から、何かにたどり着けるはずだ。
客船で角田たちや黒蜥蜴に指示をしたのも、このふたりではなかったのか。
井坂が指示をだし、石田みづきがそれを彼らに伝えたていたとしたら……
いや、それには無理がある、というより、捕された誰かが彼女の名を口にしたはずだ。
疑ってみたり、否定したり、考えられる仮説を立てては崩し、また立て直す。
思考に没頭するあまり、周囲の音を遮断していたことにも気がつかなかった。
「籐矢、籐矢、おい」
「えっ」
「えっ、じゃないだろう。遅いから迎えに来たんだよ。どうした、難しい顔をして」
「うん、井坂匡だが……」
その名前は口にするなと言うように唇に指を立てた潤一郎は、目でエレベーターを示した。