Shine Episode Ⅱ


三年前、籐矢がやりきれない日々を送っていた頃、叔父の勧めでフランスのリヨンにあるICPO (インターポール) の本部に出向した。

前任者から譲り受けた部屋に荷物をおき、まず酒が飲めるところを探して町に出た。

ふらりと入った酒場で、隣に座った女性が話しかけてきた。


「あなた、滅入った顔をしてるわね。よほど辛いことでもあったのかしら」


初対面の人間にそう言われ、また、彼女の持つ人を安心させる雰囲気に、いつもの籐矢なら言わないことまでしゃべった。


「俺の顔はそんなにふさぎこんで見えるかな。本当のところ、辛くてやりきれないよ」 


「そんなときは誰かがそばにいた方がいいのよ。今夜は私が付き合うわ」


女はソニアと名乗った。

それが本名なのかわからなかったが、そのときの籐矢にはどうでもよかった。

ソニアが言うように、一人でいると考え込んで思考がマイナス傾向になっていくのがわかっていた。


「トーヤっていうの……日本人の名前は発音が難しいけど、あなたの名前は呼びやすいわね」


ソニアは籐矢の辛い部分には触れず、かといって陽気に話すわけでもなかった。

これからリヨンに住むという籐矢のために、役立ちそうな情報などを教えてくれた。

楽しい酒かといわれればそうではなかったが、辛い酒にならなかったのはソニアのおかげだった。


「トーヤ、あなた、かなり酔ってるわよ。もう帰ったほうがいいんじゃない?」


ソニアの心配そうな顔が籐矢を覗き込む。


「ソニア、もう少し一緒にいてくれないか……」


そう言った記憶はあるのに、どうやってそこまで行ったのか、自分では酒に強いと思っていたのに、籐矢の記憶は曖昧だった。

ただ、温かい肌に抱かれ、心地よい眠りについたことだけは確かだった。


カーテンの隙間から差し込む鋭い光が目を刺激した。

籐矢がゆっくり目をあけると傍らに女の姿があった。

目を慣らしながら室内を見回すと、ぼんやりではあるが見覚えのない風景が広がっていた。

ここはソニアの部屋なのか?

メガネを探そうと体を起こしたとき、ソニアの目が覚めた。


「おはよう、トーヤ。よく眠ってたわね」


「あぁ……ここはソニアの部屋か」


「そうよ。あなた、自分の部屋には帰りたくないって言うし、仕方ないからここに連れてきたの。

体の大きなあなたを抱えるの 大変だったんだから」


「迷惑をかけてすまなかった」


ソニアがカラカラと笑い声を上げる。


「まぁ素直だこと。あなたったら、こんな良い女を前にして、さっさと寝ちゃうんだもの。まったく失礼な話よね」


互いに素肌に近い格好であり、肌が触れ合いながらの会話に戸惑っているのは籐矢だけで、ソニアの方は余裕があった。

いたたまれず、ベッドから起きようとした籐矢の腕をソニアがつかんだ。


「朝の挨拶のキスもしてくれないの?」


女性にここまでいわれて、まったく間抜けなことだと情けなくなったが、ソニアには彼女なりの照れくささもあるのだろう。 

ぞんざいな言い方ではあったが、口元は少し拗ねた表情を見せていた。

籐矢は起きかけた体を戻し ソニアをゆっくり引き寄せ胸元に抱いた。


「トーヤって、優しい抱き方をするのね。女心をくすぐるじゃない」


「昨日、俺を抱きしめて寝てくれたんだろう? 久しぶりにゆっくり寝た」


「あなた 迷子の子供みたいで ほっておけなかったの」


初めて会った女に苦しい胸のうちを語り、寂しさをぶつけたことに籐矢自身驚きもしたが、相手を束縛しない、それでいて包むようなソニアの優しさが、そのときの籐矢には心地よかった。

少し上向いた意思の強さを思わせる唇に指を這わせると、半開きの口が籐矢の指を軽く噛んだ。

ソニアの舌が籐矢の指を優しく誘い込む。

指先の刺激は、籐矢の体の細部まで刺激した。

朝の挨拶のキスは徐々に熱を帯び、ソニアの奥深くまで籐矢は求めた。

ソニアが着ている薄いシャツから胸のラインが透けて見える。

シャツの上から胸に手を這わせ、ボタンに手をかけようか悩んでいると、ソニアの色を帯びた声がした。


「抱くならちゃんと抱いて」


その言葉が引き金になったのはいうまでもなかった。


「私、朝はカフェオレなのよ。トーヤもそれでいい?」


「あぁ 同じものでいいよ」


心地良い気だるさを残していたが、籐矢の心はすっきりと晴れていた。

昨日まで抱えていた重みがとれ、これからここで生活していくんだとあらためて思った。

仕事に行くというソニアと一緒に部屋を出た。


「ソニア、いろいろありがとう。なんて言うか……」


「男はゴチャゴチャ言わないの。あなたの気持ちはわかってるわ。また会いましょう」


「また来てもいいのか?」


「いいわ、 あなたならいつでも大歓迎よ。その前に、きっとどこかで会えるわ」


その言葉を、同じ街に住むからまた会えるのだと理解した。

そして、彼女の言葉通り二人はまもなく再会した。

ソニアの部屋に頻繁に行くようになり、一緒に暮らすまでにたいした時間はかからなかった。

それは、ソニアがリヨンを離れるまで一年半続いた。



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