Shine Episode Ⅱ
明後日の大使館の警備をがんばりますと、水穂の元気な宣言が籐矢の何かを刺激したのか……
拳を握って力む水穂をギュッと抱き、首に顔を寄せた。
「香りをかえたのか。いいフレグランスだ」
「すごい、鼻が利きますね。ソニアさんにいただきました」
「彼女の見立てなら間違いない。個人の肌によって放つ香りが異なるそうだ」
「ふぅん……神崎さんが香りにも詳しいなんて知らなかった」
拗ねたように身をよじったが、抱きしめる腕から自由になることはできなかった。
この状態で籐矢の腕から逃れることはできないとわかっていても、水穂は無駄な抵抗を試みる。
仕事とプライベートを混同してはいけないとの思いで意地を張っていたが……
「ソニアの姉さんは、ネの称号を持っているそうだ」
「ネ? ネ……鼻という意味ですね」
「調香師の高い評価がある人にだけ与えられる。水穂の肌に合った香りを選んでくれたんだな。
俺の好みの香りだ……」
籐矢らしくない甘い言葉が耳に届き、水穂はちっぽけな意地を手放した。
静かな部屋にキスの音が響く。
恋人の時間のはじまりだった。
一昨日の記憶による微かな熱に浸りながらも、水穂は華やかな晩餐会で警備の目を光らせていた。
ときどき盗み見るようにオーケストラ後方にも注意を向ける。
演奏は終盤に差し掛かったのに籐矢に動きはなく、パーカッションの一員として座っているだけで楽器を手にする気配もない。
どの楽器をいつ演奏するのだろう。
曲はいよいよフィナーレを奏で、大きく盛り上がったところで籐矢が立ち上がった。
籐矢が手にした楽器を見て水穂は目を丸くした。
最後の最後に楽器を打ち鳴らす。
指揮棒が止まり演奏が終わるとホールは大きな拍手に包まれ、立ち上がった楽団員とともに籐矢も恭しく頭を下げた。
籐矢が手にしていたのはトライアングルだった。
晩餐会はお開きとなり、スタッフ総出で片づけが始まった。
結局何事もなく予告の日は過ぎ、捜査員も翌日未明には撤収となった。
他の4国の大使館も異常は見られず、それぞれ警備についていた捜査員は解散となった。
来たルートと同じ道をたどりながら、水穂はもっともな質問を口にした。
「どういうことでしょう」
「俺たちが試されたんだろう」
「こちらの捜査員の配備とか? どこを重要に警備するか試されたってことですか」
「うん……おまえもそう思ってるんだろう?」
「えぇ、まぁ……」
「互いに探りあいだ。手の内を探っている、こっちも、むこうも」
「これからどうするんですか」
「まずは本部に帰って作戦の見直しだ。写譜屋の追跡もしなくては」
「そうですね……ふふっ……」
「なんだよ急に」
「だって、神崎さんトライアングルですよ。あんなの小学生でも弾けます。
燕尾服まで着て、最後にチーンって、あはは……」
演奏を思い出した水穂は腰を折って笑い、笑いすぎて息苦しさで咳き込むほどである。
予想していたが、水穂のあまりの笑いように籐矢は顔をしかめた。
さて、この情報をコイツにいつ教えてやろうか……
このまま教えずに、ひとり蚊帳の外にしようかと意地悪な思いも浮かぶ。
籐矢の胸ポケットには、晩餐会後に見つけた 『YUHU』 と書かれた楽譜が入っていた。
胸ポケットをそっと押さえながら街並みに目を向けた。
欧州の春はまだ寒く、街路樹にもたいした変化はない。
今ごろ桜が満開だろう……
籐矢は遠い空につながる日本へ思いをはせた。