Shine Episode Ⅱ


腕の中で、おぼろげに籐矢の声を聞いた記憶があった。

”シャワーはどうする。一緒にどうだ” と聞かれ首を振ると、”そうか 残念だな……じゃぁ 次な” と耳元で笑いながらささやいたあと、温かな肌が離れて気配は遠ざかって消えた。

ほどなく水音が聞こえ、水穂は深い眠りへと入っていった。

次に目が覚めたとき、籐矢の姿はどこにもなかった。

やはり行ってしまったんだと、わかっていたことなのに、ひとり取り残された寂しさをどうすることも出来なかった。

微かに水音が聞こえた気がして、けだるい体を起こした。

床に散らばっていたはずの服はベッドの横に集められ、バスローブとタオルが傍らに置いてあった。



「一人でシャワーを浴びろということなのね……」



水穂は独り言を口にしていた。

やっぱり音がする……

ベッドから身を起こしてふらつく足を床に下ろし、素肌にバスローブを羽織ると窓辺へと足を進めた。

昨夜ちゃんと閉まっていなかったのか、少し開いたままの窓を横へと滑らせると静かな雨音が聞こえてきた。

霧雨だった。

傘をさすか、さすまいか迷うほどの、細い針のような雨が静かに降り注いでいた。

取り残された悔しさと、大事な人と引き離された寂しさが一気に込み上げてくる。

晴天だったら良かったのに、そうしたら、気持ちよく神崎さんを送り出せたかも……

溢れてきた涙を、水穂は手で乱暴に拭い自らを奮い立たせた。



「あっ……」



思わず声が出ていた。

昨夜は帰りが遅くなると家族に伝えてはいたが、外泊になるとは告げていない。

なんと母親に言おうかと悩みながら、とにかく家に連絡をしようと携帯電話を探した。

ベッドサイドに携帯を見つけると、その横に走り書きのメモが一緒に置かれていた。


『香坂の家には連絡を入れておいた。室長に今日は水穂は休むと伝言した。一日ゆっくり休め』


家になんと告げてくれたのか気になるところではあったが、水穂はとりあえずの心配事から解放された。

見慣れた籐矢の字をあらためてじっと眺めた。

几帳面とは言いがたい籐矢からは想像もつかない、伸びやかで整った筆跡である。

いつだったか、結構達筆なんですねと、意外だったと言わんばかりに籐矢に言うと、小さい頃から近くの神社の神主のもとへ、字を習いに行かされていたと教えてくれたことがあった。

「俺より征矢や…」 と言いかけて、「征矢の方がもっと上手だ」 と籐矢は言い繋いだ。

あの時 「征矢や麻衣子の方がもっと上手だ」 と言いたかったのではないかと、水穂は彼が家族を語る口元を思い出した。

大事な妹を死なせてしまった後悔を常に抱え、事件が大きく動き出す度に今度こそと意気込んでいた。

今回もそうなのだろう。

水穂も入り込めない籐矢の胸の奥の錘のために、ふたたび危険な場所へと赴いたのだ。

籐矢らしい走り書きに、ふっと顔を緩ませたあとメモを折りたたみ手帳に挟んだ。 


いままで何度か使ったことのあるシャワーブースには、籐矢らしい名残りがあった。

髭を剃っていったのだろう、シェービングクリームの蓋が完全に閉まってはおらず斜めにかぶさっている。

水穂は頭からシャワーを浴びながら、中途半端に閉じられた蓋をパチンと閉めた。

泣き顔を洗い流し、最後に水に切り替えて全身を引き締めた。

身支度を整え、バッグからコンパクトを取り出し肌に薄くのばす。

ルージュはいつもより輪郭をやや大きくハッキリと描き唇の色を整えたあと、ティッシュを口にはさんで余分な色を落とした。

乱れたシーツをはずし、新しいシーツを引っ張りながら丁寧にはさみ込んでいく。

クッション、枕、羽毛布団と置き、ベッドカバーを綺麗に掛け終えると、籐矢と過ごした時間まで消えたような気がした。

ふいにこみ上げてきた涙を、ぐっとこらえてまぶたに押し戻す。

絶対になくものかと、水穂がこぶしを握り締めていると、コンコンコン……、と控えめなノックのあと弘乃の優しい声がした。



「おはようございます。お食事はいかがですか」


「おはようございます、いただきます」



明るい声で返した水穂は、籐矢の余韻を胸に抱いて部屋を出た。


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