Shine Episode Ⅱ
気恥ずかしさがないわけではなかったが、ここにいて当たり前という顔をしてテーブルに座ると、「冷たい雨になりましたね」 と、弘乃はいつもと変わらぬ口調で水穂に語りかけた。
秋雨でしょうか、と水穂も何気なく返しながら、出された食事に箸をつけた。
「昨夜遅く、籐矢さんからお電話をいただきまして、水穂さんのおうちに連絡して欲しいということでした。
水穂さんは仕事で遅くなるので、こちらにお泊めしましたと、お母様へお伝えしておきました」
「ありがとうございました。ひろさんが連絡してくださったんですね、神崎さんのメモを読みました」
「私が一緒にいたことになっていますので……」
そう言うと、弘乃はいたずらな笑みを浮かべた。
肩をちょっとすくめた水穂が 「すみません」 と付け加えると、二人に忍び笑いが漏れた。
これまで何度かこの部屋で夜を過ごした。
泊まることはなかったものの、濃密な時をすごした気配は朝まで残っていたはずだ。
だが、これまで弘乃がそれに触れることはなく、水穂と顔を合わせても、今朝のようになんでもない顔で接してくれた。
その弘乃の顔が、今朝は心なしか沈んで見えた。
弘乃には籐矢の任務内容は告げていないが、昨夜の水穂とのやり取りでおおよその見当はついているはずである。
我が子同様に接してきた籐矢が、任務とは言え危険な場所へと赴いた。
弘乃の胸には自分とは違う思いがあるのだろうと、水穂はお茶を淹れる弘乃の横顔を眺めた。
「亡くなった夫は、仕事について話すことのない人でした。
警察に勤務する人間なら当たり前なのでしょうが、帰りが遅くなるのか早いのか、それさえも言わず毎日出勤していきました」
「ひろさんは帰りを待つだけですね」
「えぇ……それでもわかるんですよ、なんとなくですけど。この人は、今日は危険な任務につくんだろうって。
そんな日は、その日一日、私も落ち着かないんです。
一緒についていって、そばで安否を確認できたらと、何度思ったことか」
「わかります。私も不安で、自分が落ち着かないから、置いていかれるのが嫌で……」
「待つことも大変な忍耐を強いられます。でも、今度は水穂さんが一緒ですもの、心強いですよ」
「ひろさん……」
この人は、どれくらい長い間こうしたことに耐えてきたのだろうか。
穏やかな笑みの下にある、計り知れない不安と戦いながら、夫の帰りを待ってきたのだ。
常に最悪の事態を想定して、それに対処できる心構えを持ちながら、夫が帰らぬ人となった日には凛とした態度で全てを取り仕切ったのだろう。
籐矢とともに人生を歩むということは、そういうことなのだと、水穂はこの日胸に刻んだ。
あの日と同じように、今夜もここに籐矢はいない。
「このお部屋で、ひろさんとクリスマスケーキを頂いているなんて、神崎さん思ってもみないでしょうね」
「ふふっ、そうですね。つい、籐矢さんのお好きな物ばかり用意してしまって……」
「本当だ、全部神崎さんのお気に入りばかり……このクッキーも、すごく美味しい。
ナッツの食感がいいですね」
「今度一緒に作ってみませんか? 簡単なんですよ」
水穂が 「はい」 と返事をすると弘乃は嬉しそうにうなずいた。
弘乃とこうして籐矢のことを思い出すのも悪くないかもしれない。
水穂は、この数ヶ月に起こった出来事や、籐矢と関わった事件を思いかえしてみようという気になっていた。
「ひろさん、私の話を聞いてくれますか。神崎さんのこと、他の人には言えなくて……」
「えぇ、お聞きします」
弘乃は空になった水穂のカップに紅茶を注ぎ足した。
ホワイトデーの夜の甘い出来事から話そうか、それともそのあとの、ちょっぴり切なかった出来事から話そうか。
水穂は十分に思い悩み、少しずつ聞いてもらおうと決めて今夜の話を始めた。