Shine Episode Ⅱ
「客船の次の買い手が誰になるのか、海運事業に携わる人々の間で興味の的になっていたんだ」
「そんな噂がある船なんて、誰も買わないでしょう」
「ところが、いわくつきだろうが難があろうが、欲しいと願う会社があとを絶たなかった」
「そういえば、近衛さんの親戚の方が落札したとか言ってましたね。どうして悪い噂のある船を買ったんでしょう」
「それだけ格安なんだよ。豪華客船一隻の値段にしては破格の安さだったそうだ」
「でも、買った人が噂を気にしなければ問題ありませんね。安い方がいいに決まってます」
悪い噂のある船を買う人はいないだろうと言っていたのに、船が格安で手に入ると聞くと、噂を気にしなければ問題ないと言い始めた。
水穂にとっての価値観は、多少難ありでも安ければいいということである。
いかにも節約家の水穂らしい考え方であると、籐矢は面白がりながら聞いていた。
「まぁな。ただ、競売に参加した企業の中にダミー会社がいくつかあった。おそらく裏組織だろう。
そんなやつらと競争して勝ち取ったのが日本の船会社だ、親会社の久我グループは財閥企業だ。
おまえも名前くらい知ってるだろう」
「知ってます。近衛さんはおじさんと言ってましたね」
「潤一郎のお袋さんの実家が久我家だ」
「わっ、すごい……」
「久我グループが買った客船で、潤一郎の兄貴が結婚式をするそうだ」
「わぁ、なにもかもすごいですね。で、爆発物って?」
爆発物についてはあとで話すつもりでいたが、水穂の矢継ぎ早の質問に答える羽目になった。
せっかちなヤツだと思いながらも、状況を的確に把握しようとする水穂の姿勢に感心もしている。
「近衛家の長男の結婚式だ。出席者の顔ぶれは想像がつくだろう」
「政財界の重鎮とか、名家の人々とか、すごいんでしょうね。そんな人たちが客船に集まるんですか。
国会中の議事堂の警備や、財界の会合の警備より大変ですね……はっ、そうか、そんなのとんでもないです!
だって、船にみんな集まってるんですよ。そこを狙われたら!
あっ、すみません。なんか私、勝手に飛躍して縁起でもないこと言いました。すみません……」
「おまえの言うとおりだ。潤一郎もそれを心配している。だから俺に結婚式に出て欲しいそうだ。
表向きは親戚扱いだが、警備の指揮をとらせる気だろう」
「披露宴、私も行きたいです。神崎さんと一緒に警備させてください。絶対役に立つと思います。
お願いします、私も出席できるように近衛さんに頼んでください」
「その話はあとだ。ついたぞ」
「本当に近衛さんに頼んでくださいね。私を置いていったら、一生恨みますからね」
「あぁ、うるさい!」
「うるさいって、ひどいなぁ……神崎さん、私を置き去りにした前科があるんですから……」
水穂がこう言い出すことはわかっていた。
できるだけ聞かせたくない話だったが、ここまで知られてしまっては避けようがない。
ふぅ……と、籐矢は深いため息をつきホテル内へと入った。
ところが、井坂はホテルを引き払ったあとだった。
フロントの話では急な用事で出国したという。
つい二時間ほど前、井坂と会って話をしたばかりである。
わずかのあいだによほど急ぎの用件が入ったとしか考えられない。
「どうしたんでしょうね。ほかの国にいる留学生のトラブルでしょうか」
「うん……」
「どうしますか、このケース」
「渡す相手がいないんだ、こっちで預かるしかないだろう」
「あのぉ……地元警察に届けなくてもいいんでしょうか」
「地元警察も、こんなものを預けられても困るだろう。それに、持ち主はわかっている。
留学生の怪我が回復したら渡しに行こう。その前に井坂さんが帰って来たら渡す、それでいいな」
「そうですね……」
口には出さないが、籐矢も水穂もバイオリンケースに残された数字の謎を探るつもりでいた。
井坂の突然の出国も気になるが、理由がわからないのではどうにもならない。
ひとまずバイオリンケースは持ち帰ることにして、玄関口へと足を進めたところで正面から入ってきた人物と顔が合い籐矢は足を止めた。
「君はどういうつもりだ。こんなところまできて、何をかぎまわっている」
「ご無沙汰しております」
出会いがしらに嫌味な言葉を投げてきたのは、籐矢のかつての師である小松崎だった。