Shine Episode Ⅱ
今夜も泊まっていかれてはいかがですか、との弘乃の言葉に気持ちが傾きかけたが、家で待つ母の顔が浮かんだ。
籐矢の部屋を去る寂しさを抱えながらマンションを出たのは、クリスマスの夜も過ぎた真夜中の1時頃だった。
弘乃との時間は穏やかで、水穂の空虚な心を満たしてくれた。
これまで押し込めてきた思いを思う存分並べて、二人で心行くまで籐矢の話をした。
籐矢のことを思うたびに、水穂の脇腹の傷跡は甘く疼く。
防ぎようのない事故だった、それなのに籐矢は水穂に怪我を負わせてしまったと、己が責任を深く感じていた。
初めて彼の前で肌を露わにした時、籐矢は迷わず水穂の傷跡に口づけた。
口では乱暴なことを言い放ち、時に粗野に振舞うその人は、実は繊細な心を持ち合わせているのだと感じるのはそんなときだった。
寒い夜に懐に包み込んでくれた人は、いま何をしているのだろう。
仕事に没頭して自分のことなど忘れているのだろうか。
水穂の傷跡が、チクッと微かな疼きを感じたとき、寒さのために手を入れていたポケットの中で握り締めていた携帯が着信を告げた。
とっさに電話に出た水穂の耳に聞こえてきたのは、会いたい人の声だった。
『よぉ、元気にしてたか』
『今までどうしてたんですか。神崎さん、今どこですか?』
『潤一郎と一緒だ』
『それじゃぁ、まだ国外ってことですか。あっ……聞いても教えてくれませんね』
『あぁ……』
安全な場所からの電話ですら用心して居場所を告げない、その用心深さに水穂は感心しながら、もう少し具体的に話してくれてもいいのにと苛立った。
そうですかと返事をしたものの、次の言葉が出てこない。
電話の向こうで、聞き覚えのある照れくささを隠す咳払いが聞こえた。
『今日はクリスマスだな。プレゼントもなしってのもまずいかと思って、この電話で許せ』
『神崎さん、今頃ですか? 間が抜けてます。クリスマスは過ぎました』
『そうか、時差があったな。こっちはまだ25日の昼だ』
居場所を悟られないように用心をしていただろうに、時差が……とつい口にしてしまったのだろう。
水穂はそれに気付かぬ振りで、わざと文句を続けた。
『それに、これがプレゼントって、ホワイトデーはキスだけでクリスマスは声だけなんて、ひどくないですか?
渡せなくてもどこかから送ってくれるとかできますよね? もぉ、気が利かないんだから』
『そう言うな』
『いえ、あの……すみません、せっかく電話をもらったのに……』
『元気か』
電話の向こうの人は、また同じ問いをした。
短い問いかけに、水穂はそれも籐矢らしいと思いなおし素直に答えた。
『はい、神崎さんは? 風邪とかひいてませんか』
『ひいてないよ。声を聞いて安心した。じゃぁ切るぞ』
『待って、そんなに急がないで。あの……ごめんなさい、やっぱりいいです』
『なんだ、言ってみろ。気になるじゃないか』
『名前を呼んでくれないのかなって、そう思っただけです』
『水穂……また連絡する』
『はい、待ってます』
『あの時は悪かった……水穂、じゃぁな』
あの時、置いていって悪かった……そう言いたかったのだろうか。
籐矢の要領を得ない謝罪に 「今頃何よ」 と声が途絶えた携帯へ向かって悪態をつきながらも、水穂の胸の中は声を聞いた嬉しさが勝っていた。
タクシーを止めるためにポケットから出した手を、12月の冷たい風が撫でていく。
弘乃にも電話のことを教えよう、どんなに喜ぶだろうか。
止まったタクシーに乗り込みながら、水穂は籐矢がいる場所にもつながっている夜空を眺めた。