Shine Episode Ⅱ
2. 聖夜の想い
コートの襟を立てても冷気を防ぐことはできず、凍てつく街を歩き回るのも難儀なものだと、思わず愚痴が口をついていた。
尾行を撹乱するため通りを行きつ戻りつし、古い町並みの路地へと踏み込んだ。
待ち人が指定した店はすぐ目の前に迫っていたが、神崎籐矢は後ろの二人をどうしたものかと思案していた。
東欧のこの街に入って二週間が過ぎていた。
密輸されたボルト一本からたどり、こんなところまで来てしまったと呆れながらも、目指す敵の足元が見え隠れするこの街にたどり着いたことに手ごたえも感じている。
籐矢を苦しめ続けてきたテロ事件に関わりがあるとわかってから、どれほど苦渋に満ちた思いで過ごしたことか。
事件で犠牲になった妹の鎮魂のためにも、なにがあっても諦めるものかと誓ってきた。
しかしながら、簡単にはことは進まず、幾重にもカモフラージュされた情報と見せかけの組織に翻弄され、煮え湯を飲まされる日が続いている。
籐矢の苦境を知り、役に立つかはわからないがと言いながらも、有力な情報を入手しているらしい口ぶりで籐矢との接触を申し出てくれた人物と、今夜会う手はずになっていた。
路地の三本目のすじを急ぎ足で曲がったところで視線を感じた。
前から歩いてくるうちの一人が右に曲がれと目配せする。
敵か味方か一瞬迷ったのち、籐矢の勘が同志の匂いを嗅ぎ分けた。
目の前の男が先に路地を曲がり、続いて曲がった籐矢のあとをうしろの二人が追いかけてきた。
途端に数人の姿が現れ、追いかけてきた二人を取り囲み腕を抱えると、そのままいずこへと連れ去っていった。
その間に、籐矢は見覚えのある腕に引っ張られ、路地に面した店に引き込まれた。
「ICPOってのは人員に余裕があるんだな。それとも情報局の人間か」
「あれはエキストラだ。映画の撮影があるといって雇ったアルバイトだよ」
「へぇ、粋なことをしてくれるじゃないか。で、あいつらはどこに連れて行かれたんだ?」
「捜査員を尾行しているスパイを捕獲し、警察に突き出すという設定になっている」
「なんだ、そのまんまじゃないか。だが警察に連れて行っても罪がなけりゃ、そのままお解き放ちってわけに……」
「ならないよ。あいつらのポケットに、怪しげな薬を忍ばせておいたから取調べを受けるはずだ。
当分は出てこられないだろう。調べた内容は、こちらにも伝わることになっている」
「ふぅん、警察も最初っからグルか。おまえさんも顔が広いもんだ」
「以前、地元警察の捜査に協力したことがあったからね。もちつもたれつだよ」
済ました顔で事のあらましを語っているのは、籐矢の古い友人で外務省情報局に所属する近衛潤一郎である。
籐矢とは義理の従兄弟の関係でもあり、公私共に深く付き合ってきた。
今回の籐矢の渡欧に際し何度か情報をもたらしてくれたが、こちらで顔を合わせるのは初めてだった。
元気か……でもなく、久しぶりだな……でもない。
任務の過酷さを知り尽くすふたりは、互いの身を案じていながら口にでるのは冗談めいた気安い言葉ばかり。
およそ東洋人の入らない店の、そのまた奥へと通され、ようやく人心地ついたところで潤一郎が核心に触れてきた。
籐矢の追う相手は、すでにこの国を出国しているだろうと言う。
「どうする、追いかけるのか」 と聞かれ、しばらく様子を見るよと答えたのち、籐矢は壁に飾られたリースに目を向けた。
「クリスマスか。どうりでどこもかしこも賑やかだと思った」
「様子を見てどうする。ここにいても手がかりが残っているかどうか」
「こっちに女がいるようだ。戻ってくる可能性が高い」
主犯格の男の正体はいまだにつかめずにいたが、側近の大物の見当はついており、この街を拠点に活動していることを突き止めていた。
数日前から女がめかしこんでいる、これは男を待っていると思ったとの籐矢の言葉に潤一郎は笑い出した。
「へぇ、籐矢がそんなことを言うとはね。わかった、こっちも調べてみるよ。
そうだ、水穂さんから伝言だ……
よくも置き去りにしてくれたわね、覚えておきなさいよ……だそうだ」
「ははっ、アイツ相当頭にきてるな。あんなのと一緒に行動したらこっちの身が持たない。
邪魔になるだけだ」
「ふふっ、心にもないことを言うね。彼女の身を案じておいてきたんだろう? 水穂さんに連絡は?」
「いや、日本を出たっきりだ」
「彼女、クリスマスも一人か……寂しいだろうね」
「さぁ、どうだか。そっちこそ、ゆかが寂しがってるだろう」
「プレゼントは送った。それにもうすぐ帰国することになっている」
「さすが、潤一郎はぬかりないな」
「そう思うなら籐矢だって……いや、余計なことを言った。このあとの予定だが……」
打ち合わせを終え潤一郎より先に店を出た籐矢は、先ほどとは街の景色がわっていることに驚いた。
重い灰色の空から降り出した雪が石畳の道を覆っている。
見上げた空からとめどもなく降り注ぐ雪を見ながら、ポケットの中で携帯をさぐり覚えている番号をおした。
『よお、元気にしてたか』
電話の向こう側の彼女は予想通り叫びつづけ、懐かしくも愛しい声を耳に感じながら、籐矢は水穂のぬくもりに包まれていく思いがした。