Shine Episode Ⅱ
夜の明かりに彩られた 『客船 久遠』 は、岸壁を静かに離れナイトクルーズへと出発した。
華麗なる貴婦人と称される美しい客船の歴史は、披露宴という華々しいものではじまった。
招待客を乗せた船は、近海クルーズののち翌日昼過ぎに寄港する。
陸を離れた客船は乗り込んだ人々だけの空間となり、各界の著名人が顔を揃えたクルーズは船上の社交界となっていた。
華やかな裏側では、密かに進行している闇の動きを封じるために、籐矢たちの懸命な努力が続いていた。
捜査員には決まった持ち場が有り、交代でその任に就く。
これまで表舞台に影響のある動きはなかったが、複数の不審物発見という騒動があり、安全確認が取れるまで対応に追われ、食事もままならない状態で夜を迎えた。
乗客は夜のセレモニーまで思い思いに過ごし、その殆どはキャビンに戻っていた。
人々が集まるバーやラウンジには警備の人員が配置されているが、捜査員たちもしばしの休憩となり、船上の捜査本部が設置されている部屋へと集まってきた。
水穂たちが部屋に入ったのと前後して潤一郎が姿を見せたが、疲れきった様子だった。
「そっちはどうだ」
「あいかわらずだ」
「そうか」
籐矢と潤一郎の会話は、それだけでは全く意味をなさない。
それでも分かり合えるのは、二人だけに通じる問いであり、双方ともに注意して言葉を選んでいたためである。
「近衛さんらしくないですね。なにがあいかわらずなんですか?」
好奇心むき出しでジュンが問いかけた。
新婦の警護についたジュンも、ユリと交代で休憩に入っていた。
「大きな変化はないということですよ。不審物もありましたが、たいしたことはなかった。
このままクルーズが終わるまで何事もなければいいのですが」
たいしたことはなかったなど、潤一郎の言葉とは思えない。
穏やかな顔をしているが、その顔の裏側には鋭いナイフを隠しているというのが、籐矢が語る潤一郎の性格だ。
綿密な計画を立て、秒単位で動き、一分のスキも与えず相手を追い込んでいく。
「潤一郎の辞書には適当という文字はない」 とまで籐矢に言わしめるのに、どうしたことかと水穂は怪訝に思った。
「そうですね。でも、私たちにできることがあれば、なんでも言ってください」
「私とユリは新婦のそばでニコニコしてるだけですから。力が余ってますから」
「ありがとう、頼もしいな。ジュンさんとユリさんは、武道の有段者だそうですね。
もしものときは、ご助成いただきたい」
「かしこまりました」
芝居がかったやりとりで、潤一郎の顔が少し明るくなった。
それでもまだ潤一郎の様子が腑に落ちない水穂は、心配なことがあるのではないかと聞くために潤一郎に近づこうとしたが、 体を割り込ませてきた籐矢に遮られた。
「腹が減っただろう。差し入れだ」
さらに 「豪勢だぞ」 とみなの気を引くように威勢良く声をあげ、大きな身振りで蓋を開けた手元に注目が集まった。
籐矢が運び込んだのは重箱に収められた弁当で、差し入れというより料亭の仕出しのように立派なものだった。
「こっちにもありますよ。某レストランのオーナーからの差し入れです」
水野が持ち出したのは大皿の盛り合わせで、こちらはホテルのケイタリングかと思わせる豪華なものだ。
某レストランってどこですか、と声がかかったが、水野は 「すみません、店の名前を忘れました」 と頭をかいている。
「じゃぁ、こっちの重箱は料亭の弁当ですか?」
聞かれた籐矢も、俺も覚えていない、と返事をするつもりでいたのに、並べられた重箱を覗き込んだ水穂が言い当てた。
「このお弁当、ひろさんでしょう! ほら、これ、ひろさんのお漬物だし、こっちは出し巻き卵です」
「よくわかったな。まいったな……」
「参ることなんてないでしょう。ひろさんの手作り、嬉しいです」
以前、籐矢の家の管理を任されていた三谷弘乃は、現在は近衛宗一郎の家の管理を任されていた。
その縁で披露宴にも招待されていたのだが、籐矢との再会をことのほか喜んだひとりである。
「ひろさんって、家政婦の?」 と聞いたのは、事情通のジュンだ。
「そうよ。神崎さんがお坊ちゃんだった頃を、よーく知ってる人なの。
小さい頃もやんちゃで、いたずらをして、ひろさんによく怒られたって」
ジュンが面白そうにうなずくのと同時に、籐矢の拳が水穂の頭に落ちた。
「余計なことを言うんじゃない」
「痛いじゃないですか! やめてくださいよね、髪が崩れたじゃないですか」
「それくらいでグダグダ言うな。手でなでて直せばいいだろう」
「できません! あーあ、こんなにしちゃって。せっかく紫子さんに結ってもらったのに」
私が直してあげる、とジュンが髪に手を伸ばしたが、簡単に直るものではなく苦労している。
本格的に直したほうがいいだろうということで、食事を目の前にしてジュンと水穂は部屋を離れた。