Shine Episode Ⅱ
11. 陰謀と策略
緊張を持続させるには、相当な忍耐が必要である。
張りつめた神経もやがて疲労をきたし睡魔との戦いが訪れるのだが、いままさに監視の男は睡魔と格闘中だった。
水穂を威嚇するために弘乃の体に向けられたアイスピックが、男の手の中でゆらゆらと揺れている。
睡魔により制御が利かなくなった腕の筋肉は、アイスピックを握りしめる行為を持続できなくなっていた。
徹夜で疲れ切った体は休息を欲し、夜明け前に体温の低下とともに眠気がやってくる。
午前4時前後が魔の刻と言われるのはそのためで、事故や事件が多発する時刻であることを水穂は知識として知っていた。
披露宴に出席するため日本へ出発する日の朝方、まるで、こうなることを予想したような会話を籐矢と交わしていた。
前夜は遅くまで出立の準備に追われ、ベッドに入ったのは夜明けまで二時間もない深夜だった。
当然のように水穂のベッドに体をすべり込ませてきた籐矢は、柔らかく拒む水穂の手をいとも簡単に抑え込み鎖骨に顔をうずめてきた。
拒みきれないとわかりながらも身をよじっていたが、観念して自ら籐矢の首に腕を絡ませ、それがふたりだけの時を持つ合図になった。
恋人として触れ合う時間は短いものだったが、心身が満たされたときを過ごしたふたりは、明るくなりかけた空を感じながら余韻の残る体を寄せ合い、ベッドの背にもたれていた。
籐矢の口から出てきた言葉は、肌を寄せ合ったあとのひと時にはひどく不似合なものだった。
「魔の刻を知ってるな」
「夜明け前の、ちょうど今頃ですね」
「人質を盾に立てこもる事件は明け方に動きがあるだろう?
バスジャックやハイジャックもそうだ、闇が薄れる明け方が突撃に効果的だ。
どうしてだかわかるな」
「睡魔と疲労で、犯人の判断が狂うからです」
「そうだ。もし……もしもだ、おまえがそういう状況に追い込まれたら、夜明けまで絶対に動くな。そして、味方の応援を待て」
「応援が見込めない場合はどうしたらいいのでしょう。
たとえば、拘束されたことを連絡できない場合もあります。助けがなかったら、自分で……」
「それでも待て。まずは自分の身を守り、それから相手を刺激しないことだ」
「でも」
「俺が必ず助けに行く。どんなことをしても俺が助けてやる」
必ずと言う言葉は、簡単に口にするべきではない。
それでも籐矢が 「必ず……」 と言ったのは、水穂を思う一心からだ。
どこにいても籐矢が助けにきてくれる。
籐矢への絶対の信用と信頼は、水穂を強くした。
時計を睨みながら監視の男に 『魔の刻』 がやってくるのを辛抱強く待った。
そろそろ夜明けも近い。
日の光を浴びたなら睡眠から活動へと体のスイッチが入ってしまうが、外を望む窓のないこの部屋に日光は届かず、よって眠りを妨げるものはない。
寝入ってしまえば男の隙を狙えるのではないかと考えていた。
籐矢の助けを信じていたが、じっとしていられないのも水穂だ。
相手を刺激せず身を守るには、寝込んだ時を狙って動くしかない。
水穂も弘乃も手足の自由を奪われ、口にはさるぐつわがはめられている。
互いに近寄り手足のひもをほどくには距離があり、たとえ近づけたとしても男の力で硬く縛られた結び目をほどくのは困難と思われた。
部屋には酔って寝入った蜂谷廉も残されているため、蜂谷が目覚める恐れもあった。
この状態で何ができるのか……
必死に考える水穂の目が、見張りの男が寝入った様子をとらえた。
このときを逃せないと思うものの、身動きは取れず秘策も浮かばない。
動いて少しでも弘乃に近づこうと試みる水穂に気がつき、弘乃も距離を縮める努力を始めた。
ところが、寝入ったことで座る態勢を保てなくなった男の体がぐらりと揺れ、水穂と弘乃の間に寝転がってしまったのだ。
足と臀部を使って男の体をよけながら進もうとするが、手足を縛られた体は一向に進まず、さらにはバランスを崩し、水穂の体は床に転がってしまった。
物音で男が目覚めるのではないかと用心したが、眠りは深く目覚める様子はなかった。
縛られた人質の見張りということで気持ちが安心しているのだろう、水穂に少し余裕が生まれた。
寝転がり、体を回転させて移動できることに気がついたのだ。
狭い部屋なら不可能だが、リハーサル室を兼ねた楽屋はダンスができるほどの広さがある。
男の体をよけながらゴロゴロと転がり、蜂谷が寝ているソファの脇を静かにすり抜けようとしたときだった。
蜂谷の手足に縄が見えた。
水穂たちと同じく手足は縛られ、さるぐつわこそなかったが囚われの姿でソファに寝かされていた。
蜂谷は犯人グループではなかったということか、それとも仲間割れか。
蜂谷財団のトップである蜂谷廉は、客船で騒ぎを起こした彼らの中心人物であると、籐矢と潤一郎は目星をつけていた。
蜂谷がリーダーでなければ、いったい誰が……
新たな疑問に直面したが、緊張の連続と重なる疲労で頭の整理が追い付かない。
それでもどうにか弘乃のそばまで来た水穂は、弘乃の後ろ手のひもの結び目をはずそうと懸命になった。
しかし、固く結ばれたひもが緩むことはなかった。
時間だけが無駄に過ぎていく虚しさを感じていた水穂は、絶望の淵にいた。