Shine Episode Ⅱ
空調が効いた資料室は肌寒く、にじんだ汗が冷え水穂は体を震わせた。
足のロープとさるぐつわが外され多少自由になったが、手はいまだ縛られたままだ。
楽屋の鏡裏の更衣室に押しこめられている間は、熱気との戦いだった。
ただでさえ冷房がきかない狭い空間に、水穂と弘乃、それに見張りの男が身をひそめていたため熱気がこもり、暑さと息苦しさに苦しんだ。
それに比べれば体は楽になったがここも狭い空間で、ふたたび訪れた閉塞感が神経を疲弊させるのだった。
籐矢が助けにきてくれると信じていた。
水穂たちが捕らわれていたシアター楽屋にあらわれた籐矢の声を聞き、これで助かると思った。
扉の向こう側にいる籐矢に、自分の居場所を知らせるために足を使って音を鳴らした。
しかし、弘乃へアイスピックが突きつけられ、水穂は動きを止めざるを得なかった。
角田たちが大道具通路からデッキへ出ていったあとも、三人は楽屋に残っていたが、人の気配にまた更衣室に押し込まれた。
ふたたび籐矢が来てくれたと喜び今度こそと思ったのに、水穂と弘乃を探す籐矢の声を聞きながら、ここにいると合図を送ることができず耐えるしかなかった。
籐矢と潤一郎が立ち去る足音を虚しく聞きながら、みたび探しに来てくれることを期待した。
ところが願いもむなしく、シアター楽屋から資料室へ移動させられることになった。
ポケットにリップグロスを入れていたと思いだし、更衣室に文字を書いて痕跡を残そうとしたが、ポケットにあるはずのリップグロスはなくなっていた。
手がかりを残せないまま、水穂と弘乃は廊下を隔てた一室に移されたのだった。
水穂たちがいる資料室は図書室書庫の奥まった一室で、外の気配は全く感じられない。
壁の時計が示す時刻から、水穂は頭に叩き込んだ現在の客船の予定を思い浮かべた。
昼食会前に船内が解放され、施設等を見学できる時間帯になっていたはずである。
図書室も見学可能箇所であることから、表には人がいるはずだが声は全く聞こえてこない。
弘乃の異変に気がついたのは、書庫に移って間もなくだった。
過度のストレスと疲労で顔色が悪いのではないかと思ったが、それだけでなく目はうつろになり体調不良は明らかだった。
大丈夫ですかと水穂が声をかけると大丈夫ですと返事があったが、その声は弱弱しく覇気がない。
長時間の拘束で飲食はおろか、水も口にしてはいない状態が続いている。
汗もかかず熱中症が疑われたため、見張りの男に飲料水を要求したが、この場を離れるわけにはいかないとの理由で断られた。
自分も我慢しているのだから、お前たちも我慢しろと言い、果てには不満を聞かされる羽目になった。
見張りの交代もなく、女二人を監視し続ける役を押しつけられ、自分ばかりが損な役割だと不満を漏らすが、「あの人」 には逆らえないと恐れもみせた。
「あの人」 というのは角田のことだろうと思った水穂は、それほど脅威かと問いかけると 「そうだ」 と認める返事があった。
今まで一方的に指示されるだけで会話が成り立つことはなかったのに、不満を漏らしたことで男にそれまでにない心境が芽生えていた。
水穂はこの機会を逃さなかった。
「あなたも演奏するはずだったんでしょう?」
「俺は、アイツらのレベルじゃないから……」
「仲間に認めてもらうために働いてるの? 見張りなんて貧乏くじを引いたわね」
「そんなことはない」
感情的な顔になった男へ、水穂はさらに話しかけた。
「私に声をかけた女の人も、あなたたちの仲間?」
「女? あぁ、マリアか。ふふっ、やっぱり女に見えるよな」
「えっ、それじゃ」
「アイツは男だよ。女より綺麗な顔でも女じゃない。結局半端なんだよな。
いいように使われて、マリアも見張りをやらされて……」
そこまでしゃべって、言い過ぎたと思ったのか男は口をつぐんだ。
誰を見張っているのかと水穂が聞いても、知らないと言うばかりで応じなくなった。
マリアと呼ばれる女装した男が見張っているのは誰なのか……
自分たちのほかにも捕らわれている人物がいるということだ。
この事実を籐矢たちに伝えなければと思うが、今の水穂には何の手立てもなかった。
水穂の横にいた弘乃の体がふらりと傾いた。
手を縛られたままでは支えることができず、水穂はとっさに肩を寄せ弘乃の体が崩れるのを止めた。
「ひろさん、ひろさん!」
呼びかけるが反応は薄く、意識が白濁している。
「誰か呼んで!」
「はぁ? 呼べるわけないだろう」
「このままじゃ危ない。水を持ってきて!」
「水って、ここにはない」
「じゃぁ、持ってきなさい。私たちに何かあったらどうするつもり?
アンタの責任になるのよ。よく考えて!
仲間にも責められて、全部アンタのせいになるんだから」
水穂にアンタのせいになると言われ、男は血相を変えた。
俺の責任じゃない、そんなことないとブツブツと言いながら、あの人に怒られると身を縮ませている。
保身ばかりで一向に動こうとしない男に水穂は一喝した。
「人質が死んだらどうするのよ!」
最悪の事態を言葉にされ危機を察知したのか、男は跳ねるように飛び上がった。
ここにいるんだぞ、動くなよと水穂に念を押し、資料室から飛び出していった。
扉が閉まる前に 「水か経口補水液を持ってきて」 と叫んだ。
逃げ出せるかも知れないと一瞬思ったが、扉を施錠する音が聞こえて無駄だと知った。