幼なじみの甘い牙に差し押さえられました
「そうそう、俺も会社辞める時はけっこう揉めたんだよ、お前ほどじゃないにしても」
「うぐっ。確かに私は揉めましたけど」
山下さんが付け足した話題にぐさっとダメージを受ける。せっかく立ち直ったのに、どうして今思い出させるんだろう。動揺した私を意地悪く笑うので、じとーっと見返しておく。
「涼介のヤツがゴネて辞表受け取らないからさぁ」
「そ、そりゃ山下さんが辞めたら淋しいし困るでしょう」
「だから辞表と交換条件でこれを預かることにしたんだ。背に腹は変えられないからな。」
折り畳まれた紙片を開くと、見慣れた筆跡のメモが残されている。
“ノートを返してほしい
1月1日 18時 グリーン東体育館で待つ
水瀬 涼介”
その言葉から涼介の声が聞こえてくるようで、思わず膝から崩れ落ちる。
しばらくして、山下さんがぽつりと言った。
「もしお前が涼介から逃げたいなら手を貸すぜ?
但しこの先ずっとだ。一生、俺の側でいいなら、いくらでも匿ってやる」
山下さんはもう笑ってなくて、座り込んだ私に手を差しのべている。その手を掴んで良いのか戸惑っている間に、強引に繋がれて引き上げられた。
「行くなって言ってもいいか?」
「どうして…」
「今さら聞くなよ、行くな。今だけは縛ってたいんだよ」
山下さんに強く引き留められ、このまま行かなかったときの未来を想像した。
涼介と一生会うことはなくて、私はきっとおばあさんになってもあのノートを読み返してる。
その時私は、どんな顔をしてるんだろう。
後悔?
懺悔?
この先、ずっと…?
靴紐をチェックして二回ほど屈伸し、軽くジャンプを繰り返した。準備はオッケー、後悔はもうたくさんしたから、これ以上は抱えきれない。
「返すもんかって、涼介に言ってきます!」
「馬鹿、それなら送って…」
「走るの得意なんで大丈夫です。すぐ戻りますよ!」
全力でダッシュしたから、背後にかけられた言葉はもう聞き取れなかった。何か考えれば臆病な私は止まってしまう気がしたから、ただひたすら走った。