氷室の眠り姫
紗葉の提案に考え込むように目を閉じた爽子だったが、それは一瞬だった。
「分かりました。主上の、ひいては東宮の御為となれば私が躊躇している場合ではありません」
紗葉は爽子の決意に安堵の息をついた。
「主上への薬の調合は今のままで、爽子様に飲んでいただく霊水を使ったお茶を様子を見つつ、調整していこうと思います」
言い切ると、紗葉は手を付き深く頭を下げた。
「ご協力いただき、誠にありがとうございます。深く感謝申し上げます」
「…?何故貴女が礼を言うのです」
「…主上の病状を落ち着かせるのが私の役目です。その為にならばどんなこともこなさなくてはなりません。ですが……」
俯いて体を震わす紗葉を見て、初めて爽子は紗葉の年齢を思い出した。
「紗葉……貴女は…」
「私には…どうしても、主上に肌を許すことができないのです…恐れ多いことを言っていると分かっております。必要ならばそれを成さねばならないことも…それでも」
ポロポロと紗葉の大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。
「想う人が、いるのですね」
爽子は紗葉の傍に寄り添い、そっと抱きしめた。
(そうか…この子は私よりも、むしろ東宮に歳近いのだった。しっかりしているから忘れてしまっていたわ)
そう気付けば紗葉に対する蟠りはあっという間に消えていった。
「紗葉、安心なさい。それは私の役目です。例え何かの副作用があろうとも、私にしかできない、誰にも譲れない役目です」
キッパリと言い切った爽子に、紗葉は胸を詰まらせてただ頷いた。
紗葉が自室に戻った後、爽子は側に控える志野に厳かに命じた。
「…紗葉に対する態度を改めるよう、女官たちに徹底させなさい」
「爽子様…」
「あの子の覚悟を知ってしまった以上、この状況のままにはできません」
爽子の側に控えて話を聞いていた志野も、さすがに口を挟むことができなかった。
「今回の話は主上にも内密にします。これ以上、紗葉の負担を増やす訳にはいきません」
「…女官たちへの指導に関してのことは承知しました。ですが、主上には……爽子様の負担がかかることをお話ししておいた方がよろしいのでは?」
爽子のことを第一に考えればこその言葉だったが、爽子は首を横に振った。
「なりません。私のことでまで主上に心労をおかけする訳にはいきません。それに、私は負担と思ってはいないのですから」
不安を感じても不思議ではないのに、爽子の表情はとても晴々としていた。
「爽子様…?」
「これまで私はただ見守ることしかできなかった…でも私が、私にしかできないことがあったのです」
おそらくずっと歯痒い思いをしていたのだろう。
爽子のカオは喜びに溢れていた。
「……承知致しました。それでは早速動いてまいります」
後宮の中が変わり始める瞬間だった。