氷室の眠り姫
苦悩
紗葉が後宮で孤軍奮闘していた頃、柊の元に流が押し掛けてきていた。
「柊様!紗葉はいったいどこにいるんですか!?」
薬師、という役柄ゆえ来客を頭から拒否できない立場の柊は深いため息をついた。
流がいずれ自分の元へ訪れるだろうということは柊にも分かっていた。
それでも、できる限りそれが遅ければ、と自分勝手なことを思っていたのは否定できない。
「紗葉は…もうここにはいない」
「分かっています!だからこそ尋ねているんです!」
真っ直ぐな流の眼差しは誤魔化すことを許してはくれない。
「約束のあの日……どれだけ待っても紗葉は来なかった…それだけならまだしも、それ以降全く連絡がとれない。こんなこと、紗葉に限ってあり得ない!」
悲痛な表情の流に柊の胸も痛む。
しかし、そんな資格がないことは自覚していた。
「紗葉は、この家の娘として嫁いだ」
キッパリと言った柊の言葉に、流の表情が凍りついた。
「……嫁いだ…?そんな話、聞いてない…何の冗談です?」
「…こちらの都合だ。君に話す必要はない」
「紗葉は俺の恋人だ!」
「今は違う。それにこれは紗葉も了承済みの話だ」
流の目が大きく見開かれる。
その驚愕の表情を見ても柊は意図的に無表情を貫いた。
「これ以上、紗葉に関わることは止めてほしい」
どの口が言うか、と自分でも思ったが、表情は崩さない。
「……」
流は歯をくいしばりながら柊を睨み付けるが、柊の口が開かれることがないと分かると無言で立ち上がり、荒々しく部屋を出ていった。
「……父上…」
複雑な思いを抱いている樹がその思いをそのまま顔に表して部屋に入ってきた。
「…樹、氷室の状態はどうなっている?」
樹の言いたいことは分かっているだろうに、柊はそれについては触れずに問いかけた。
樹も父親の苦しみをほんのわずかでも理解しているので言及はしなかった。
「正直、あまり良いとは…母上が助けてくれていますが、ずっと紗葉が管理していましたから…」
「やはり紗葉は我が一族でも稀代の力の持ち主だからな…こうなることは予測していたが」
それでも優先すべきことがあるのだから仕方なかった。
「樹は引き続き花凛と氷室の管理を」
「……はい。ですが、父上…流のことはどうするつもりですか?」
自分が口出しすることではないと分かっていても、尋ねずにはいられなかった。
「どうもしない。流に関わるとすれば紗葉との約束に関係した時だけだ」
言いながらも、柊はそんなことが起こらないことを祈るのみだった。