氷室の眠り姫
「東宮様も最近は主上について政務のことを具体的に学んでいるそうよ」
「確かに実際に主上がなさっていることを直でみるのが一番良いかもしれませんね」
東宮が成長すれば、紗葉にかかる負担も少なくなるはずだ。
「今から少し休むわ」
そう言って紗葉が奥へ引っ込もうとした時、廊下が騒がしくなり、風音は眉をしかめた。
「…何事でしょう。様子を見て参りますので、紗葉様はそのままお休みに…」
「紗葉様!東宮様がお越しです!」
少し慌てた様子でやって来た女官の言葉に風音の眉間のシワが深くなる。
「紗葉様はお休みになります。お帰りいただきなさい」
「ですが……」
「紗葉!」
女官が皆まで言う前に東宮が姿を見せた。
風音は舌打ちしそうになるのを何とか堪えて頭を下げた。
「東宮様、申し訳ありません。紗葉様は今お休みになられております」
「風音、構わないわ。東宮様、どうぞこちらへ」
どうにかして東宮を帰らそうと言葉を探していた風音だったが、紗葉本人によりそれは叶わなかった。
風音にしてみれば、己のしたことを綺麗さっぱり忘れて厚顔無恥にも紗葉に話を聞きたがる憎たらしい子供なのだが、紗葉にとっては将来の主上である。
東宮が立派に主上の後を継いでくれなければ、紗葉がここに来る為に捨てたものが無駄になってしまう。
東宮が立派な主上になる為というなら、市井のことを話すのも厭わない。
紗葉はそう思って東宮の訪問も受け入れていた。
「今日は何のお話をいたしましょう?」
「………」
しかし、東宮は紗葉の問いかけに答えずにただ紗葉の顔をじっと見つめていた。
「…?東宮様?」
「…紗葉は、父上の側室ではない、のだな?」
「まぁ…」
驚いて目を丸くしながらも、紗葉は風音に視線を向けて他の女官たちを下がらせた。
しかし勿論、風音が退室する訳もなく、厳しい目で東宮を見据えながら紗葉の後ろに控えた。
「東宮様、わたしの後宮での”事情“を知っているのは爽子様と志野さん、そしてここにいる風音だけです。軽々しく口にしてはいけません」
(ついでに申し上げるなら、いくら東宮といえど、いくら歳が近かろうと、それほど親しくもない年上の人間を呼び捨てにするなど、あり得ませんっ)
その後ろで風音はこんなことを思っていた。
無論、口に出すことなどできるはずもない。
「すまない…気を付ける」