氷室の眠り姫
東宮は紗葉の”事情“を知ってから、何故か紗葉になついて素直に言うことを聞いていた。
「紗葉は、僕に立派な主上になってほしいと思ってる?」
「勿論です。けれど、わたしだけでなく東宮様のご両親を始め、皆さま方が待ち望んでいらっしゃいます」
「そっか……うん、じゃあ僕も頑張る」
少し頬を赤くしながら頷くと、東宮は立ち上がった。
「休むところだったんだよね、ごめん。僕も勉強に戻るよ」
「何のお構いもできずに…」
「今度からはきちんと触れを出してから来るから」
小さな成長が見れたことが嬉しくて、紗葉はにっこりと微笑んだ。
「はい。東宮様もお勉強を頑張ってくださいませ」
東宮は紗葉を直視せずに頷き、足早に部屋を後にした。
風音はその一連の様子を見て、苦虫を噛んだように顔をしかめた。
(……まさかとは思うけれど。でも紗葉様は無自覚に魅力を秘めた方だから、可能性が皆無という訳じゃない)
これ以上面倒なことにならないように、と祈らずにはいられない風音だった。
東宮が戻ると紗葉は当初の予定通り、横になって休むことにした。
「紗葉様、よろしいですか?わたしが起こしに行くまでは横になっていてください。お仕事なんてなさらないでくださいね」
風音に念押しされ、苦笑するしかない紗葉だが、逆らうつもりは勿論ない。
素直に横になって目を閉じた紗葉に安堵して、風音は部屋を後にした。
紗葉は小さくため息をつきながらただ一人の人を思い浮かべる。
(このまま順調にいけば、わたしの役目も無事に終わる……それの意味するところを考えると喜ばしいことではないけれど)
紗葉の役目の終わり。それは東宮が主上になる時。
紗葉が後宮から辞することが許されるのは主上が亡くなった時。
(それを望むのは、いけないと分かってる。それでも…)
例え好きな人の元に戻れないとしても、罪悪感なしに心に宿しておける。
(流……)
せめて夢の中だけでも誰に憚られることなく逢いたい、と願いながら紗葉は眠りについた。
紗葉の眠りは風音がやって来たことも気付かずにいるほど深かった。
「良かった…紗葉様。どうか少しでも回復してくださいね」
風音は紗葉の肩まで上掛けをきちんと掛け直すと、そっと部屋から出ていった。