氷室の眠り姫
流が一人の女官に笑顔で声をかけ、耳に唇を寄せて何かを囁いた。
それに対して女官はポッと頬を赤く染めながら頷いて、流に手を引かれながらどこかへと姿を消した。
「嘘……どうして…」
言いかけて、ふと気が付いた。
(あぁ、そうか……わたしが望んだのだった…流にわたしのことを忘れて幸せになってほしい、と)
紗葉はギュッと唇を噛み締めた。
(ならばわたしを繋ぎ止めるものはもう、ない)
この場に留まることができずに、紗葉は何かを買うこともなく自室へと戻ることにした。
一方、まさか紗葉に見られていたとは思いもよらない流は情報収集の為、いろんな女官に声をかけていた。
「あぁ、新しく後宮入りした方…紗葉様のこと?」
「…本当に側室をめとられたんだ。噂を聞いたけど、あまり大々的に話を聞かないから法螺かと思っていたけど」
「そうねぇ、どういう経緯で後宮に上がられたのかは知らないけれど、確かに紗葉様という側室はいらっしゃるわ」
「……そう」
眉を寄せて考え込む流に、女官は甘えるかのように体を寄せた。
「あら、興味あるのかしら?」
少し拗ねるような言い方に苦笑しつつ、流はさりげなく女官から距離をとった。
「おめでたいことなら、うちの宝石を注文いただけないかな、と思って」
「あぁ、そういうこと?どうかしら…よくお部屋には行かれているみたいだから交流がないわけではないようだけど…」
女官は首を傾げながら続けた。
「夜のお召しはほとんどないみたいだから、宝石を贈るほど仲睦まじいとは…」
「ご寵愛いただいてないとなると後宮では肩身が狭いだろうね」
さりげなく紗葉の現状を探るが、女官は全く気付くことなく素直に答えた。
「そうねぇ…でもご正室である爽子様が何かと融通きかせていらっしゃるみたいだから、そこまでは…それに」
一旦言葉を途切らせて、女官は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「今は主上ではなく東宮様が紗葉様のことをお気に召しているみたいよ。鞍替えなさるおつもりかしらね」
その言い方に侮蔑の色を感じて、思わず流は眉をしかめた。
正室の爽子が庇っているならそれほど無体なことをされないだろうが、嫌がらせがなかったとは思えない。
(こういう女が後宮には溢れているのか…?)
嫌悪感でいっぱいになったが、それを表情に出すことはなく、流は不要とばかりに女官を軽くあしらって元にいた場所に戻った。
流は紗葉と接触する為の計画を。
紗葉は主上の薬の開発を。
それぞれ思いがすれ違いながら進行していくのだった。