氷室の眠り姫
滅多に柊に口出しするこのとない花凛の言葉は紗葉の心に真摯に届いた。
それでも素直に納得することなどできるはずもなく、俯いて唇を噛んだ。
「……お前には申し訳ないと、苦労をかけるなどという言葉で収まらないのも分かっている。だが、それでもやり遂げてもらわねばならん」
先程の激昂した様子は消え、静かに告げられれば紗葉も怒りに任せて拒否できない。
そもそも帝家からの命に背くことなとできない。
それは紗葉にもよく分かっていた。
「………父様、部屋に下がらせていただいてよろしいでしょうか」
俯いたままぽつりと呟いた紗葉に対して、柊は本意ではないものの変えることのできない通告をした。
「…紗葉、予定は一月後だ」
何の、とは言わず柊は淡々と告げた。
「……」
紗葉は返事をすることなく部屋を後にした。
「柊様……本当にこれで良いのでしょうか?」
「…たとえ紗葉に恨まれようとも、こうするしかない」
柊にとっても紗葉は大切な娘で、こんな事態になる前は好いた男の元に嫁がせるつもりでいたのだ。
いくら主上が相手としても歳は下手をすれば親子で通るほど離れており、しかも側室という立場だ。
「こうするしか、ない」
己に言い聞かせるように柊は呟いた。
一方、部屋に戻った紗葉は力無く座り込んでいた。
(どうして、どうしてこんなことに……)
頭では理解していても感情はついていかない。
(分かってる…帝家の命令ならば受けないなどという選択肢がないことは。だけど…っ)
紗葉が思い浮かべるのは先程まで一緒にいた愛しい恋人のこと。
(……流…)
紗葉は部屋に飾ってあったローズクォーツのブローチを手に取った。
それは流が紗葉に初めて贈ってくれた物だった。
「…流……」
ほろり、と紗葉の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「流…流ぇ……」
抗うことのできない波に飲み込まれた紗葉は、ただただ涙を流すしかなかった。
それは紗葉の心情とは逆に、まるで水晶のように輝いていた。