泣かないで、悪魔さん
『お、おい、ルカ』
ウィルの声で、私はルカの視線から解放された。まるで化石から生き返ったみたいに、息を吸った。
『ん?』
ルカはそう言って、私の口を抑える手を離した。
『あ、あああの…』
ウィルは青い顔をして、唇を震わせた。
震えながら、目を上に向けた。
『なんだよ』
ルカと私も、空を見上げるように目線を上げる。
『あ、あれは…』
ルカは、目を見開いた。
すっかり暗くなった空に、灰色の雲がかかっていた。その雲の隙間を縫うようにして、バサバサと巨大な羽を広げて飛ぶのは、鳥、なのだろうか…
「た…ただの鳥じゃないですか」
私は、ポツリと呟いた。
ルカは、一瞬あっけに取られたようで、鳥が空に円を描いて飛ぶ様を目で追っていた。
しかし、すぐに目を空から逸らし、
『これはまずいことになった、まずい。
急いで道の奥に進むんだ』
と言った。
ルカは、2人の手を引いて、石畳の坂道を駆け上る。
2人は息をあげながらも、ルカの必死な表情に、ただごとではない事態から逃げることに意識を集中ささせていた。
坂道はだんだんと急になる。
『ルカ、あの鳥みてーなヤツが、まさか、アレだなんていわねぇよな?』
ホー、ホー
空に響き渡るような、喉に篭った鳴き声が1つ。
ルカは、その鳴き声に肩をすくめた。
『…この通りの名前はフクロウ通りだよ。
…あいつらに決まってる』
ルカは小声で答えた。
なんだかよくわからないけど、あの鳥は相当危険ならしい。そのせいか、今まで機敏に動いていたルカが、少しだけ縮こまったように見える。
『まじかよ。なぁ、それじゃあ』
バサバサ、バサバサ
ホー、ホー
『…来るぞ』
バサバサ、バサバサ
ホー、ホー、ホー
バサバサ、バサバサ
『来るって…』
ホー、ホー、ホー、ホー
『もう逃げ場がない』
空はすでに、真っ黒に染まっていた。
雲も、灰色から墨の色に変わった。
『稲妻の狩人』
音もなく、空にフラッシュが走って、
その瞬間、光という光が雲の上の遠い空に吸い込まれてしまった。
仄かな街灯のロウソクも、風に吹かれてふっと消えた。
足元すら真っ暗で、坂道の上も下も、何も見えない。
ホー、ホー、という鳴き声は、もうすぐそこだった。
「ひっ…」
冷たい風が、足元を包んだ。
そして、どこからか、低いうなり声のような呟きが聞こえる。
『今晩のお客は、若くて締りのいい奴だ…
それに…おや。なんと…女子までお出ましになるとは』
ウィルとルカは、その声を聞いて私の姿を隠すように私の前に立った。
バサッ、と何かが地面に着地する音がした。
そして、影が立ち上がった。
光る2つの目が、こちらを見た。
私と目があった気がする。
今度は、化石じゃなくて、磔にされたような感覚だ。動きたくても、動こうとすると、視線の釘が食い込んで痛みが走る。
息も震えるほど暗いのに、そこに煌々とした目があるのは何故だろう。
『ふっ…そう怯えるでない、若人ども。
拙者、今晩は既に腹が満ちておる…
なんて幸運な命だろうよ』
影は、人のようであった。
しかし、ごうごうとした羽の跳ねる影もある。人に羽がついているようにも見える。
鳥が立っているように見える。
『…』