死にたがりティーンエイジを忘れない
竜也はわたしを、まずは友達として、仲間として受け入れようと決めていたみたいだ。
笹山の恋愛感情なのか何なのかわからないものに振り回されたばかりのわたしにとって、遊び仲間の距離感はありがたくて優しかった。
少しずつ、わたしはまともな形を取り戻した。
書くこと、弾くこと、歌うこと。
自分を表現するための言葉や音や声をたぐり寄せるため、集中力をキュッと高める。
その緊張感が、だんだんと自分の中によみがえってくる。
何のために、やせたいと思ったのか。
キレイでいたかった。
カッコよくなりたかった。
じゃあ、キレイって何だろう?
カッコいいって何だろう?
食べて吐いて、劣等感と吐瀉物でどろどろに汚れている姿なんかじゃ、絶対にないよね。
吐いた後の喉では、うまく歌えない。
そんな当たり前のことを、竜也たちと行くカラオケで、今さらながらに実感した。
BUMP OF CHICKENをもっとキレイに歌いたい。
だったら、きちんと喉を開いて声を出せるように、もう吐いちゃいけない。
バラバラに壊れたものを一つずつ拾ってつなぎ合わせていくみたいに、
おぼつかない足取りでゼロから歩き出したばかりみたいに、
そんなふうにして、十代最後の冬を過ごした。