家出令嬢ですが、のんびりお宿の看板娘はじめました
『リル、今日も元気かい?』
さらりと頭を撫で、裏口から宿屋へと入っていく。
(リル……? 名前? 私の?)
疑問に思っているうちに、今度は茶色の髪の少年がやってきて、自分に手を差し伸べてくれる。
『リル、今日は旦那忙しいって、俺が散歩に連れて行ってやるよ』
(散歩って……完全に犬じゃないですか)
だけど、心は勝手に嬉しいと思ってしまう。お尻のあたりがムズムズするのが気になってちらりと後ろを見ると、自分の尻尾がバッサバッサと元気よく揺れているではないか。
少年は『さあ、行くよ』と歩き出す。
動いてもいいのか、とようやく気が付いて、リルは歩き出した。
四つ足での移動に、頭の中では変な感じがするが、体のほうは自然に動いている。
風の動きが全身で感じられて、とても気持ちがよかった。尻尾も軽快に揺れている。
『リル、急に走ったらだめだよ』
少年が追い付いてきて、隣を歩く。
見知らぬ人、見知らぬ街。ロザリーが暮らした男爵領の景色とは違う。なのにすべてが懐かしい。
自分のもののようなそうでないような、曖昧な感覚だ。
(犬として散歩してるなんて変な感じです。でも私はロザリーですもん。これはきっと夢なんだわ)
自覚すると同時に、景色がふっと変わる。
場所は男爵邸の庭。そこに咲く名前も知らない白く小さな花を摘んで、ロザリーは父のもとに急いだ。
今よりも幼い日のロザリーだ。
『やあ、ロザリー可愛らしい花だね』
抱き上げられた自分は、ちゃんと人間の女の子に戻っていた。
ロザリーがホッとして息をついた同時に、母はあきれたような顔をして、『そんなことをしてはドレスが汚れますよ』と苦言を呈した。