家出令嬢ですが、のんびりお宿の看板娘はじめました
2.アイビーヒルの切り株亭

いくつかの街を転々とし、ようやくたどり着いたこの街。
犬だったときは街の名前も分かっていなかった。小さな犬の身にとっては、この街が世界のすべてだったから。

リルは宿屋の入り口に捨てられていた犬だ。“ご主人”が見つけて、飼い主が見つかるまでと外で飼ってくれた。
ご主人は、困った人がいたら放っておけないようなお人良しで、宿には彼を慕う人間がよく集まっていた。
リルも大好きだった。忙しくてあんまり構ってはもらえなかったけれど、温かい手でいつも頭を撫でてくれたから。

忙しいご主人は散歩に連れていく暇も無かったけれど、従業員やその家族などが交代で連れて行ってくれた。
無駄吠えしないリルを、宿屋を訪れる人は気に入り、やがてマスコット犬のように扱われることになった。
そのころには、ご主人もリルを家族の一員だと思ってくれていたようだ。

すべてを思い出せるわけではないのだが、リルの記憶はどれも温かい。
記憶が混在するロザリーにとって、幸せなリルの記憶は心のよりどころとなっていた。


通りをまっすぐに向かうとある、大きくはない古い宿が見えてきた。

「たぶん、ここです」

木造で白壁の宿屋だ。レンガ作りの花壇が入口の脇を彩っている。看板を見れば【切り株亭】と書いてある。
うん。訪れる人がそんな名前を言っていたような記憶はある。

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