家出令嬢ですが、のんびりお宿の看板娘はじめました
だが、だからと言ってすべてを放置できるほどレイモンドは無責任ではない。
途方に暮れつつも、飯時は料理、空いた時間で清掃、リネンの整備等眠る暇もなく働いている。
「くそみたいに忙しい……。ああもう、過労で死んだらどうすんだよ」
ちっと舌打ちしながらつぶやくと、対面のカウンターから朗らかな声が聞こえてきた。
「だから、この店を閉めて屋敷の料理人になればいい」
聞こえていたのか、とレイモンドはげんなりする。
目の前のカウンターに座っているのは、男の二人組だ。
やたらにキラキラした金髪たれ目の美丈夫が、この街を治めるイートン伯爵の子息、ケネス。もう一人の夜のような黒髪を有し、頬杖をついて涼やかな緑色の瞳をこちらに向けるのが、彼の従弟だというザックだ。
「ケネス、レイモンドが嫌がっているよ」
「嫌よ嫌よも好きのうち、だろう。こんなに熱烈にラブコールしているというのに、どうして頑なにここで料理人をすることにこだわるのかな、レイモンドは」
気持ち悪い言い方をするなよ、と心の中で毒づきつつ、伯爵子息に礼を失するわけにはいかないので、レイモンドは勤めて冷静に返答する。
「百年近い歴史を持つ宿を、そんなに簡単に閉めるわけにはいきません」
金髪のケネスと黒髪のザックという見目麗しいふたりの精悍な青年の組み合わせは、宿屋の客の目を引く。
誰に聞かれるとも知れないのだから、宿の経営に関する不穏な話などしたくない。