家出令嬢ですが、のんびりお宿の看板娘はじめました
「それ、……いい香りがしますよね」
「ああ。白檀という香木だ」
ザックは上着を開き、中に着込んでいるシャツのポケットにそれをしまった。
なんとなく沈黙してしまったのが気まずく、ロザリーはもじもじしてしまう。すると穏やかな声でザックがぽつりとつぶやいた。
「母の出身地で採れる香木なんだ。この辺ではちょっと珍しい」
「そうなんですね。どおりで嗅いだことのない香りだなって思っていたんです。でもおかげで、すぐにザック様のものだってわかりました」
微笑んでそう言ったら、ザックも笑った。ロザリーの胸の奥がまた疼いてくる。
ザックといるときだけ起きる、この胸のざわめき。嬉しくてお尻がムズムズするのと同時に、恥ずかしくて顔を隠してしまいたいような、不思議な感覚。ロザリーはまだこの感情に名前を付けられずにいる。
「あ、えっと。そろそろ私、戻らないと」
自分の気持ちを処理しきれず、ロザリーは敢えて明るい声で笑った。
「ああ、そうだな。送ろうか」
「大丈夫です! 真昼間ですし」
「だが」
言い合いをしているうちに、小さな子供の泣き声が聞こえてきた。
ロザリーとザックは顔を見合わせ、頷いて走り出した。ロザリーは耳もそれなりにいい。泣き声をたどって、そう遠くないところにいた泣き声の主を見つけた。
オードリーの娘のクリスだ。石畳で整備された地面にうずくまって泣いていて、ストレートのこげ茶の髪が、涙で濡れた顔に張り付いている。