結婚願望のない男
菓子折りを渡したのを皮切りに、私たちは彼の怪我の具合や仕事への支障の有無、今後の治療や保険などの話をした。
保険会社から今後届く予定の書類には、山神さんに記入・捺印してもらわなければいけないものもある。
そうした書類を郵送するために、互いの住所なども確認した。
「あとこれはその…お見舞金です。クリーニング代も込みのつもりなんですが…」
私はおずおずと封筒を差し出した。
(足りないとか、慰謝料払えって言われたらどうしよう)
一応、非接触事故だし、通院は必要だけど通常通り仕事はできているし、多額の金銭を要求されることはないと思う。
けれど、被害者が訴えれば慰謝料を請求されることは十分ありえる。実際、日常生活にはかなりの不便があるわけだし。
(山神さんがどう出るのか…。この金額をどう思うか…)
と、びくびくしながら山神さんの顔色を窺っていると、どういうわけか山神さんはその封筒をそのまま突き返してきた。
「別にいいよ。菓子ももらったし、治療費ちゃんと払ってくれるんなら」
「えっ!?でも!生活にも仕事にも支障もあるでしょうし!これは必ず受け取ってください」
「大した事ないって言ったろう」
「お風呂にも入れないんですよね!?」
「……」
はーっと彼はあからさまにため息を吐いた。
「おい。俺を不潔のように言うなよ。風呂には入れてるんだよ。ただ髪や背中を洗いづらいだけで」
「あ!ご、ごめんなさい!」
「あんた、ちょっと抜けてるって言われないか?」
……。返す言葉もなかった。
「あ、けなすつもりはないんだ。むしろ褒めてる。面白いから」
「そ、それは十分けなしているのでは…」
変なことを言う人だ。
「金がいらないのは、あんたが泣いててちょっとかわいそうだなって思ったからだよ。突っ込んでくる瞬間のあんたのベソかいた顔が目に焼き付いて離れない。なんていうか、これ以上あんたに辛い思いさせるのもなって思うから」
「…!」
どうやら、ぶつかる前から私は泣いていたらしい。
「それにあんた、さっき26歳って言ったよな?年下だし。この程度の怪我で年下の女に金もらうのも気持ち悪いから」
「でも受け取っていただかないと私が気持ち悪いです。自転車で突っ走ってるときに電話に出てしまって、明らかな交通ルール違反だったので…罪悪感がすごくて」
私はもう一度封筒を彼に差し出した。
「だからいらないって」
すかさず、彼に封筒を押し戻される。
「で、でも…!」
私はもう一度封筒を差し出す。そして、押し戻される。
「いらない」
「だめです!もらってください!」
見舞金あげる・いらないの押し問答はその後も数分続いた。折れなかった私も私だけど、相手も相当頑固だ。
「…あんた、意外としつこいな」
山神さんはまたため息を吐いた。