テレビの感想文
『パーセント』第1話 表現したい人 VS 見ようとしないと見えない境界線
テレビ局で働く未来は、初めて企画が採用され、学園ドラマを制作することに。ただし、多様性月間の特集ドラマとして、障害者を主人公にするように、と設定の変更を告げられる。
このドラマのタイトルが「パーセント」で、「%」の〇の部分に主人公と、ドラマの主人公に選ばれる車いすに乗った女子高生が。
それを見て、これは自分と他人のとの間にある「/」バリアを表現している気がした。
そもそも、未来の上司、編成部長の藤谷がドラマの主人公を障害者に変更した理由は、「多様性月間の特集ドラマだから」。
多様性が伝わりやすいのが、障害者、なんですかね? ほかにも、ささいなことではあるんだけど、〇〇だからこうでしょう的な、偏見やレッテルが見えてくる。
障害者が出てくるドラマは、感動、泣ける、とか。でも、はたしてそうだろうか? 例えば、駅を歩いていて、白杖を持った人が階段をのぼっていた。その人にとってはそれが普通。階段をのぼってる、すごい、泣ける、とはならない。
でも、なにかを乗りこえようとする人を「感動する」ものとして見がちだ。感動させてくれる対象として見る。
このドラマのタイトルが「パーセント」で、「%」の〇の部分に主人公と、ドラマの主人公に選ばれる車いすに乗った女子高生が。
それを見て、これは自分と他人のとの間にある「/」バリアを表現している気がした。
そもそも、未来の上司、編成部長の藤谷がドラマの主人公を障害者に変更した理由は、「多様性月間の特集ドラマだから」。
多様性が伝わりやすいのが、障害者、なんですかね? ほかにも、ささいなことではあるんだけど、〇〇だからこうでしょう的な、偏見やレッテルが見えてくる。
障害者が出てくるドラマは、感動、泣ける、とか。でも、はたしてそうだろうか? 例えば、駅を歩いていて、白杖を持った人が階段をのぼっていた。その人にとってはそれが普通。階段をのぼってる、すごい、泣ける、とはならない。
でも、なにかを乗りこえようとする人を「感動する」ものとして見がちだ。感動させてくれる対象として見る。