今の世の中暇しない
「田中、この単語の意味を答えてくれ。」
「はい!」
大きな返事が教室の中いっぱいに響き渡たったのだが、俺の耳には届かない。こうしてぼんやりしている間にも時は刻一刻と流れていく。授業が古典だからという事もあるのだが、気分がノらない。1時間目の中盤に教室に到着したのだが、先生からは「まったくお前は何時に寝ているんだ。」「目覚ましをちゃんと掛けろ!」などと毎日遅刻しているわけでもないのだが、なぜか逆鱗に触れてしまい10分にも渡る説教を授業中にされ、みんなの前で怒号を浴びせられた。正直言ってあの瞬間から数学の授業は公開説教へとシフトチェンジした。テンションがドン底まで下げられた俺は10分休みに教科書を貸しに行くため妹の教室へ。妹に「ご苦労だったな。」と蔑んだような口調で言われた。その時点で今日は最悪な1日になるだろうと俺の感が騒いだ。
「何ぼんやりしてるのよ。」
俺の右肩を絢爛で小柄な手がポンポンと優しく叩いた。
「ぼんやりしてない。」
こんな時声を掛けてくれる優しさがこいつの長所である。
「何かあったの?」
耳元で華奢な小悪魔が囁いた。
「さっきの通りだ。」
「もしかして、説教の事?あれは長ーい説教だったわね。え?もしかして説教されて凹んでいるの?まだまだ子供ねぇー。」
後ろから囁かれているにも関わらず彼女とは腐れ縁みたいなもので長い付き合いなので顔を見なくても大体どんな表情をしているか判る。
「今日暇でしょ?私の買い物に付き合いなさいよ。」
凹みきっているやつに今言う事ではない。しかも授業中。この会話が周りの人への道を妨げになっているのではと思い、前後左右を見回して見ると一瞬で妨げにはなっていないと確信を持った。なぜなら、意識がこの教室にある生徒が両手の指で数えられるくらいしかいないからだ。殆どの意識は自己の夢世界へ旅立ってしまった。まあこの学校は進学校ではないので仕方ないといえば仕方ないのだが。
「ってことで放課後ね。絶対忘れちゃダメよ?」
「はいはい。」
今日はさっさと家へ帰って、冷蔵庫で保存している絶品プリンを食べようと思っていたのだが真夜中にこそこそ食べる路線になってしまった。
「そこ!何話しているんだ。授業に集中しろ!」
やや筋肉質で中年の先生が黒板の上で動かしていた手を止めてこちらを見た。目が合っているので間違いないだろう。その前に生徒達の過半数以上が寝ていると言うのに気が付かないものか。まず、私共としてはこちらを先に怒っていただきたかった。
「前田。罰としてこの問題に答えろ。」
先生は黒板も問題を指差し、バンバンと2度黒板を指で叩いた。ちなみに前田って俺の名字ね。
「分かりません。」
分かりませんと言っとけばなんとかなるだろうと思った俺は馬鹿だ。
「だめだ。ちゃんと考えろ。」
「そんなぁ〜…」
俺がノートと教科書と睨めっこして苦戦している最中に後ろからは意地の悪い微笑が耳元で連発されていた。非常に耳障りだ。霧咲梨々香、元はと言えばお前が悪い。昨日といい今日と言い…どうなってるんだ。ちなみに霧咲梨々香ってこいつの名前ね。こいつにはいつか制裁を加えなければ…と思っていると、
「霧咲、先生がお前の私語を見逃してるわけないだろう。次はお前に答えてもらうからな。覚悟しとけ。いいな?」
先生ありがとう。ざまあみやがれ梨々香。
「先生〜、私はただ将太君に話しかけられただけで〜自分から話しかけたわけじゃ無いんですよ〜。」
「霧咲、返事は?」
先生の目は大蛇の眼の如く細かった。
「は、はい…」
目で殺されたな。猫被った上に人を犠牲にするからだ。このどあほう。俺は後ろを向いて机の角に寄せてあった消しカスをおでこに投げつけた。だが、前を向いた瞬間、先生は投球フォームに入っていた。すぐさま先生の手から緑色のチョークが放たれた。黒板と同化してなかなか見づらい。それが原因でもあり、気づいた頃にはチョークは目と鼻の先まで到達していた。当然避ける間も無く、緑色のチョークは俺のおでこ中心部にクリーンヒットした。その瞬間、後ろで笑っていた小悪魔は突然立ち上がり右手を上に突き上げ、
「ストライィーーク!!」
と叫んだ。それと同時に多くの生徒の意識が別世界より無事生還した。その声は2階まで響いていたとかいないとか。
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先生の逆鱗に再度触れた俺とブッ壊れ野郎は昼休みに職員室に召喚される事となった。授業終わりにそう告げられた俺達はお互いの顔を見つめ合い、目でお互いを責めあった。誰から見ても、梨々香が100%悪いと断言するだろう。とにかく、次の授業は音楽なので4階にある音楽室へと向かう事にした。っと、その前に大事な事を忘れたまま危うく音楽室へ向かうところだった。俺は無地の少々ボロついたカンカン筆箱を片手に暖房が効き過ぎて温かいの域を超えた教室を後にした。ここは外かと思わせるほど凍える空気が漂っている廊下も今では涼しく感じてしまうほどだ。俺は身体が冷めないうちに廊下をダッシュし階段へそしてその階段も妹の教室がある2階までダッシュした。側から見たら頭大丈夫かなと思われそうだが、廊下の気温の低さ故にこの学校の生徒、教師はみんなダッシュしている。なので、保健室利用者は常軌を逸している。ダッシュしないのはクールを気取る男子や胸が大きい女子くらいだ。俺は階段を登り切り、階段と廊下を繋ぐ角を曲がった先にある1-1の教室を訪ねた。
「失礼します。前田千里さんいますか?」
俺は他学年の教室という事もあり、絶対にさんなど付けたくない妹の名前にさんを付けた。
「あっ、千里ちゃんのお兄さん!お久しぶりです。どうしたんですか?」
アメジスト色の艶めいた目から放たれる輝きからは俺とは対称的な人間なんだろうなと感じられた。
「あいつに教科書貸してるから取りに来たんだけど。」
俺にとっては異輝を放っているように感じられる目を見て話すことができない。
「千里ちゃんなら隣の教室に行きましたよ。」
「あ、ありがとう。」
俺はすぐさま隣の1-2の教室へ行こうとしたのだが、
「お兄さん!」
呼び止められ、隣の教室へ向かおうとしていた身体を正面へと戻した。
「今度お久しぶりに千里ちゃんと遊ぶのでお家にあがらせて頂く予定です!差し支えなければその時はよろしくお願いします!」
「ああ。」
その挨拶に俺は相槌を一つ入れ、1-2へと向かった。だが、疑問で頭の中がいっぱいになった。お久しぶりに?あの子は以前うちに来た事があるのか?ごめん、名前すら覚えていない。当然、その疑問達を口には出さずに胸の奥のタンスにしまい込んだ。
すぐに1-2に着いた。
「失礼します。1-1組の前田千里さんいますか?」
テンプレート混じりのさっきのような挨拶をした。そして、妹にさんを付ける事によってストレスが積まれた。すると、金髪で耳にピアスの穴を開けた青年が机に両足を乗せながら反応した。
「はい?何の様ですかぁ?誰ですかぁ?」
「俺は2年生の前田って言うけど千里いないか?」
目上の人と話す時はしっかりとした態度を取るのが常識であり、人としての礎ではないのだろうかと思った俺は2年生と強調して言った。
「千里ってぇ、1-1のあの可愛い子?友達と一緒に購買に行きましたよぉ。」
「ありがとう。」
見かけによらず性格だけは良いようだ。あとはその喋り方をどうにかしてくれないか。そして、お前のような奴に妹は渡さんぞ。
「その子の彼氏さんか誰かは分かりませんけどぉ、初対面の人に敬語を使うのが人としての礎ですよぉ?上級生さぁーん。」
俺を蔑むような微笑を浮かべながら言った。性格良いと思っていた俺は馬鹿だ。よって前言てっかーい。
「失礼しました。」
言い返したらもっとめんどくさくなるだろうと思ったので適当に一礼を済まし、1-2を後にした。正直言って間違ってはいないがぶん殴ってやりたい。俺はきた階段を引き返し、1階の購買へと向かった。その時もダッシュ。購買までの廊下もダッシュした。購買の周りには数えられるくらいの人数しかいない。その中に妹の姿は見られなかった。
「おばちゃん、妹見てませんか?」
カウンターに立っている白髪混じりの小柄な50〜60代ほどの小池さんという方に話をかけた。
「あら、前田兄くんじゃない。妹ちゃんならいつものクリームパンを買って去っていったわよ。教室じゃない?」
「あ、ありがとうございます。」
もう一度教室へ…
「あと、2分で授業始まるよ?次の休み時間にしなさい。」
ーカンカンカンカーンー
頭の中でゲームオーバーを告げるゴングが鳴り響いた。俺はすぐさま4階の音楽室に向けて必死に走り出した。もう教科書どうこうではない。下手したら授業に遅れてしまう。今日3度目(+あと1度昼休みに予定中…)の説教なんかたまったもんじゃない。さっきまでの涼しさとは一転し、冷や汗とダッシュでの汗によって身体は温かいを通り越して暑い。
俺は階段を死に物狂いで登り続ける。焦っているせいかいつもより長く感じる。長い道の先に音楽室が見えた。俺は音楽室に飛び込んだ。その直後、教室中に授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「ギリギリセーフ…」
「セーフじゃないぞ。教科書はどうした。」
俺が安堵していると、前から低い声が聞こえた。
「おい、答えろ。」
「えーと、忘れたわけじゃなく…」
先生は俺の言い分など最後まで聞いてはくれなかった。
その後俺は1時間目同様、長きに渡る怒号を浴びせられた。そして、俺と梨々香は予定通り放課後、職員室に召喚された。