それでも僕らは夢を描く
中学二年生くらいだろうか、男の子にしては華奢な体型だと思う。まだ成長途中って感じだ。後ろ姿だけなら女の子に間違われてもおかしくない。
彼はこちらに気づく様子もなく、一心不乱に机と向き合っている。
……声をかけてもいいのかな。
猫ちゃんが言うには私のことも見えるし、声も聞こえるらしい。
触ることはできないけど、コミュニケーションをとるくらいなら問題ないはず。
突然声をかけるのだからビックリされてしまうだろうけど、驚かせない方法も思いつかないのでとりあえず声をかけてみることにする。
少しばかり緊張してきた。
猫ちゃん曰く相性はいいらしいので彼と関わる上での不安はない。でも緊張はする。
私は大きく息を吸って覚悟を決める。そして、
「こ、こんにちは」
若干吃りながらも当たり障りのない挨拶をしてみた。挨拶は人間関係の基本だからね。
彼は一瞬だけびくっとして、そしてゆっくりと振り向いた。
薄暗い部屋の中で、彼と目が合う。
華奢な体型に見合うような、可愛い顔だ。
思春期の男の子とは思えないような綺麗な肌で、余計な肉は一切ついていない。顔も頭も小さいのに見開かれた目はとても大きくて、それが余計に可愛らしい雰囲気を出している。
美少年という言葉がこれほど似合う少年は他にはいないだろう。
かっこいいというよりかは、可愛い。そういった顔立ちだ。もっとも、あと数年もすれば成長してハンサムになるのだろう。
ちょっとドキドキしてきた。
美形の少年に見つめられているからというのもあるけれど、彼がどんな言葉を返してくるのかが気になってしまう。
警察とか呼ばれちゃったらどうしよう。
彼は何を言うわけでもなく、ぼうっと私の顔を眺めるばかり。
沈黙の時間が凄く気まずい。お願いだから早く喋ってほしい。
私の願いをくみ取ってくれたのか、数秒ほど経って彼はようやく口を開いた。
私は一言一句聞き逃さないよう、彼のふっくらとした唇を注視する。
しかし、彼の口から出たのは、
「はぁ……」
言葉ではなく、大きなため息ひとつだった。
彼はそのまま何事もなかったかのように机に向き直ると、再び何かを書き始めた。
……え? どういうこと?
もしかして無視されちゃった?
しかも凄く迷惑そうな顔をしていた気がするんだけど……。
「こんにちは!」
リトライしてみた。
さっきは私の声が小さくてよく聞こえなかったに違いない。多分そう絶対そう。
「――って」
よかった、今度は何か言ってくれた。
しかし、声が小さくて上手く聞き取れなかった。
「ごめんね、もう一回言ってもらえる?」
申し訳なく思いながらも聞き返すと、彼は再びこちらを向いてくれた。
そして一言だけ呟く。
「帰って」
声変わりする前の可愛い少年の声で、そんなことを言われた。
……どうしよう、泣きたい。
いわゆる反抗期というやつだろうか。
可愛いお口からこんなに可愛くない言葉が飛び出してくるなんて思いもしなかった。
「ごめんね。でもちょっとお話を聞いてくれると――」
「ていうか誰? なんで勝手に入ってきてるの?」
今度は最後まで言わせてすらもえなかった。
……この子はあれだ、世間一般でいう礼儀知らずのクソガキだ。
事情があるとはいえ、勝手に侵入している私も私で礼儀知らずだから文句は言えないけれど。
「突然おしかけてごめんね。私は佐々木こころだよ」
内心傷つきながらも名乗ってみた。
クラス替えで自己紹介をするとき、必ずと言っていいほど噛んでしまう私としては百点満点をつけたいほど流暢な自己紹介だ。
けれど彼にとってはこの上なく不出来な自己紹介だったらしく、
「いいから帰って」
眉をひそめながら、あからさまに嫌そうな目を向けてくる。
そんな目で見つめられてしまっては本当に帰りたくなってしまう。来て早々心が折れてしまいそう。
相性がいいから大丈夫なんて言ったのは誰だ。大嘘つきめ!
でもここで挫けてはいけない。
割と、いやとてつもなく泣きたい気分だけど、今は我慢だ。
「とりあえずお話を聞いてほしいなぁ」
「僕忙しいから」
再び机に向き直る彼。
我慢しようと誓ったばかりだけど、我慢できる気がしなかった。
こうなったら強硬手段だ。
まずは何としてでも話を聞いてもらう必要がある。
私は彼の傍に駆け寄り、手を伸ばす。
接近する私に気がついた彼は咄嗟にこちらへ振り返る。その反応はむしろ好都合だ。
私は手を引くことなく、彼の胸に向けて伸ばす。
もちろん、触れないことはわかっている。
私の手は彼の胸をすり抜け、机の縁に当たる。はたから見れば彼の胸を貫通しているように見えるだろう。
でも、それでいい。
彼はすり抜けた腕を見て目を丸めた。信じられないものを見ているといった表情だ。
それもそのはず。私だって最初は何が起きたかわからなかったのだから。
「話、聞いてもらえるかな?」
努めて優しく、言い聞かせるように同意を求めた。
体がすり抜けるとあってはただごとではない。話のひとつくらいは聞いてくれると思う。
彼からの反応はない。完全に言葉を失っている。しかし放心状態というわけでもなく、ただただ戸惑っているといった感じだった。
やがて、私の腕と私の顔を交互に見て、彼はようやく首を縦に振ってくれた。
それを確認してから、私はここに至るまでの過程を大まかに話した。
といっても、説明したと言えば精々車に轢かれて幽霊同然になったということだけ。
不登校児――つまり、目の前の彼を救わなければ体に戻れないという部分は当然隠した。
体に戻るために人助けをする偽善者だと誤解されかねないし、そもそも神様の使いの存在を信じてもらえるかも怪しい。
最悪の場合、胡散臭い幽霊と思われる可能性すらある。
だから、私がここに居る理由はただ迷い込んだだけということにしておく。
事故にあって、魂だけになって、焦って走り回っているうちにここに迷い込んだ。そういう設定。
ひとしきり説明が終わると、彼は疑うような視線をこちらに向けてきた。
「それっておかしくない?」
そう言って、私の目をじっと見つめてきた。
思わず心臓が跳びはねそうになる。
大きくて澄んだ黒い瞳がじっと私の瞳を覗き込み、まるで全てを見透かされているような気分になる。
「お、おかしいって?」
まずい、動揺を隠せない。思いっきり声が震えてしまった。
その反応を見て、彼はますます疑うような瞳をこちらへ向けてくる。
「体をすり抜けるのはさっき見たから信じる。事故にあったのも魂だけになって焦ったのも本当だと思う。でも、どうしてここに迷い込んだの? 誰にも気付かれないのが怖くて逃げるように走っていたのなら、人がいる可能性のある民家には入らないよね」
……どうしよう、その通りすぎて何も言い返せない。
言われてみれば矛盾だらけじゃないか。自分のバカさ加減に呆れてしまう。だって他に思いつかなかったんだもの。
猫ちゃんみたいに何かの神様とか、その使いを名乗ろうにも制服姿だし。一瞬で女子高生だとバレてしまう。
「ほら、何となくというか……ピンときたというか……」
「何となくここを思いついて、何となく侵入して、何となく僕の部屋に入って、そしたらたまたま僕にだけ君の姿が見えた。そう言いたいの?」
うわぁ、要約されるともの凄く不自然だ。そりゃあ疑われるわけだ。
正直、中学生だから誤魔化せるだろうといった油断はあった。
でもまさか、ここまであっさり見抜かれてしまうとは思いもしなかった。
この子は賢い。
顔も整っているし、きっと勉強だってできると思う。
女の子にもモテるだろうし、こんな子が不登校なのはちょっと意外だ。
「……聞いてる?」
黙り込んで彼を観察していると、不満そうに首をかしげてきた。
呑気なことを言っている場合ではないのだけど、ちょっと可愛い。
彼はこちらに気づく様子もなく、一心不乱に机と向き合っている。
……声をかけてもいいのかな。
猫ちゃんが言うには私のことも見えるし、声も聞こえるらしい。
触ることはできないけど、コミュニケーションをとるくらいなら問題ないはず。
突然声をかけるのだからビックリされてしまうだろうけど、驚かせない方法も思いつかないのでとりあえず声をかけてみることにする。
少しばかり緊張してきた。
猫ちゃん曰く相性はいいらしいので彼と関わる上での不安はない。でも緊張はする。
私は大きく息を吸って覚悟を決める。そして、
「こ、こんにちは」
若干吃りながらも当たり障りのない挨拶をしてみた。挨拶は人間関係の基本だからね。
彼は一瞬だけびくっとして、そしてゆっくりと振り向いた。
薄暗い部屋の中で、彼と目が合う。
華奢な体型に見合うような、可愛い顔だ。
思春期の男の子とは思えないような綺麗な肌で、余計な肉は一切ついていない。顔も頭も小さいのに見開かれた目はとても大きくて、それが余計に可愛らしい雰囲気を出している。
美少年という言葉がこれほど似合う少年は他にはいないだろう。
かっこいいというよりかは、可愛い。そういった顔立ちだ。もっとも、あと数年もすれば成長してハンサムになるのだろう。
ちょっとドキドキしてきた。
美形の少年に見つめられているからというのもあるけれど、彼がどんな言葉を返してくるのかが気になってしまう。
警察とか呼ばれちゃったらどうしよう。
彼は何を言うわけでもなく、ぼうっと私の顔を眺めるばかり。
沈黙の時間が凄く気まずい。お願いだから早く喋ってほしい。
私の願いをくみ取ってくれたのか、数秒ほど経って彼はようやく口を開いた。
私は一言一句聞き逃さないよう、彼のふっくらとした唇を注視する。
しかし、彼の口から出たのは、
「はぁ……」
言葉ではなく、大きなため息ひとつだった。
彼はそのまま何事もなかったかのように机に向き直ると、再び何かを書き始めた。
……え? どういうこと?
もしかして無視されちゃった?
しかも凄く迷惑そうな顔をしていた気がするんだけど……。
「こんにちは!」
リトライしてみた。
さっきは私の声が小さくてよく聞こえなかったに違いない。多分そう絶対そう。
「――って」
よかった、今度は何か言ってくれた。
しかし、声が小さくて上手く聞き取れなかった。
「ごめんね、もう一回言ってもらえる?」
申し訳なく思いながらも聞き返すと、彼は再びこちらを向いてくれた。
そして一言だけ呟く。
「帰って」
声変わりする前の可愛い少年の声で、そんなことを言われた。
……どうしよう、泣きたい。
いわゆる反抗期というやつだろうか。
可愛いお口からこんなに可愛くない言葉が飛び出してくるなんて思いもしなかった。
「ごめんね。でもちょっとお話を聞いてくれると――」
「ていうか誰? なんで勝手に入ってきてるの?」
今度は最後まで言わせてすらもえなかった。
……この子はあれだ、世間一般でいう礼儀知らずのクソガキだ。
事情があるとはいえ、勝手に侵入している私も私で礼儀知らずだから文句は言えないけれど。
「突然おしかけてごめんね。私は佐々木こころだよ」
内心傷つきながらも名乗ってみた。
クラス替えで自己紹介をするとき、必ずと言っていいほど噛んでしまう私としては百点満点をつけたいほど流暢な自己紹介だ。
けれど彼にとってはこの上なく不出来な自己紹介だったらしく、
「いいから帰って」
眉をひそめながら、あからさまに嫌そうな目を向けてくる。
そんな目で見つめられてしまっては本当に帰りたくなってしまう。来て早々心が折れてしまいそう。
相性がいいから大丈夫なんて言ったのは誰だ。大嘘つきめ!
でもここで挫けてはいけない。
割と、いやとてつもなく泣きたい気分だけど、今は我慢だ。
「とりあえずお話を聞いてほしいなぁ」
「僕忙しいから」
再び机に向き直る彼。
我慢しようと誓ったばかりだけど、我慢できる気がしなかった。
こうなったら強硬手段だ。
まずは何としてでも話を聞いてもらう必要がある。
私は彼の傍に駆け寄り、手を伸ばす。
接近する私に気がついた彼は咄嗟にこちらへ振り返る。その反応はむしろ好都合だ。
私は手を引くことなく、彼の胸に向けて伸ばす。
もちろん、触れないことはわかっている。
私の手は彼の胸をすり抜け、机の縁に当たる。はたから見れば彼の胸を貫通しているように見えるだろう。
でも、それでいい。
彼はすり抜けた腕を見て目を丸めた。信じられないものを見ているといった表情だ。
それもそのはず。私だって最初は何が起きたかわからなかったのだから。
「話、聞いてもらえるかな?」
努めて優しく、言い聞かせるように同意を求めた。
体がすり抜けるとあってはただごとではない。話のひとつくらいは聞いてくれると思う。
彼からの反応はない。完全に言葉を失っている。しかし放心状態というわけでもなく、ただただ戸惑っているといった感じだった。
やがて、私の腕と私の顔を交互に見て、彼はようやく首を縦に振ってくれた。
それを確認してから、私はここに至るまでの過程を大まかに話した。
といっても、説明したと言えば精々車に轢かれて幽霊同然になったということだけ。
不登校児――つまり、目の前の彼を救わなければ体に戻れないという部分は当然隠した。
体に戻るために人助けをする偽善者だと誤解されかねないし、そもそも神様の使いの存在を信じてもらえるかも怪しい。
最悪の場合、胡散臭い幽霊と思われる可能性すらある。
だから、私がここに居る理由はただ迷い込んだだけということにしておく。
事故にあって、魂だけになって、焦って走り回っているうちにここに迷い込んだ。そういう設定。
ひとしきり説明が終わると、彼は疑うような視線をこちらに向けてきた。
「それっておかしくない?」
そう言って、私の目をじっと見つめてきた。
思わず心臓が跳びはねそうになる。
大きくて澄んだ黒い瞳がじっと私の瞳を覗き込み、まるで全てを見透かされているような気分になる。
「お、おかしいって?」
まずい、動揺を隠せない。思いっきり声が震えてしまった。
その反応を見て、彼はますます疑うような瞳をこちらへ向けてくる。
「体をすり抜けるのはさっき見たから信じる。事故にあったのも魂だけになって焦ったのも本当だと思う。でも、どうしてここに迷い込んだの? 誰にも気付かれないのが怖くて逃げるように走っていたのなら、人がいる可能性のある民家には入らないよね」
……どうしよう、その通りすぎて何も言い返せない。
言われてみれば矛盾だらけじゃないか。自分のバカさ加減に呆れてしまう。だって他に思いつかなかったんだもの。
猫ちゃんみたいに何かの神様とか、その使いを名乗ろうにも制服姿だし。一瞬で女子高生だとバレてしまう。
「ほら、何となくというか……ピンときたというか……」
「何となくここを思いついて、何となく侵入して、何となく僕の部屋に入って、そしたらたまたま僕にだけ君の姿が見えた。そう言いたいの?」
うわぁ、要約されるともの凄く不自然だ。そりゃあ疑われるわけだ。
正直、中学生だから誤魔化せるだろうといった油断はあった。
でもまさか、ここまであっさり見抜かれてしまうとは思いもしなかった。
この子は賢い。
顔も整っているし、きっと勉強だってできると思う。
女の子にもモテるだろうし、こんな子が不登校なのはちょっと意外だ。
「……聞いてる?」
黙り込んで彼を観察していると、不満そうに首をかしげてきた。
呑気なことを言っている場合ではないのだけど、ちょっと可愛い。