それでも僕らは夢を描く
「亮くんのお父さんってどんな仕事している人なの?」
炎天下の中、私は語りかける。
けれど亮くんから返ってきたのは言葉ではなく、視線。極めて迷惑そうな視線だった。外だから話しかけるなということらしい。
亮くんは一言も喋らないまま淡々と住宅街を歩いていく。
少しくらい喋ってくれてもいいのに。
私の姿が見えるのは亮くんだけ。だから外で話すと周囲の目には亮くんがひとりで喋っているようにしか見えない。それはわかっている。
でも、今は十時過ぎ。学生も社会人もみんな外にはいない時間帯だ。周囲に人の気配はないし、私を無視する必要はない気がする。
なので、ひたすら話しかける。
それでもやはり返事はしてくれなかった。それどころか、途中からは迷惑そうな視線すら向けてくれなくなった。
人の多い場所では無視されると予想はしていたものの、まさか人気のない道でさえ会話してもらえないとは……。
「ちょっとくらい話してくれないと寂しくて泣いちゃうよー」
なんてことを言っても無駄だろうなと思いながらも、言ってみた。
この子が無愛想だなんて承知の上だし、今更泣くようなことでもないんだけどね。
「……はぁ、面倒くさい人だなぁ」
「あ、お話してくれるの?」
亮くんは街中の酸素が全て吸われてしまうのではないかというほど深く息を吸って、そのまま深くため息をついた。
「いいけど、駅につくまでだから」
「やった!」
昨日といい今といい、どうやらこの子はしつこく言うと折れてくれるらしい。
何はともあれこれでお話ができる。といっても特に話したいことがあるわけではないのだけど。
しかしせっかくの機会を無駄にするわけにはいかないので、色々と訊いてみよう。
「亮くんは彼女いたこととかないの?」
「ない」
即答された。それも、恋愛には欠片も興味がありませんといったような、無関心な物言いだった。
「モテそうなのになぁ。告白されたことは?」
「あるけど、興味ないから振った」
「ドライだねぇ」
ちくしょう、なんて羨ましい子だ。興味がないから振るなんて恋人が欲しい人間からすれば贅沢すぎる選択だよ。
私なんて告白されたことはおろか、ろくに男友達すらいないというのに。
まあ、別に恋人とか男友達が欲しいってわけでもないんだけどね。
「そろそろ黙って」
亮くんは目線を前に向けながら言う。
釣られて見てみると、既に駅が見えていた。
平日の昼前ということもあって人の出入りは少ない。けれど全くいないわけでもない。
このまま話をすればすれ違う人たちから冷たい目線を送られることだろう、亮くんが。
それは可哀想なので言われた通り大人しくしておく。元から静かにするのを条件についてきたわけだし。
駅につき、券売機にお金を入れると亮くんは二人分の切符を購入した。
「二人分……?」
静かにしろと言われたものの、つい口に出してしまった。
確かに電車に乗るのは私と亮くんの二人。買った切符の枚数も二人分。計算としては合っているのだけど、今の私は幽霊のような状態だ。態々買う必要はない気がする。
亮くんは周囲に人がいないことを確認すると、小声でささやく。
「何かずるい気がするから、払う」
……感心した。というより、感動した。
なんていい子なんだろう。改札を素通りする気満々だった私とは大違い。
薄々思ってはいたけど、今確信を持てた。この子は真面目な性格だ。
口は悪いし態度は冷たい。でも、根底にあるのは優しさだ。
散々辛辣な態度を取られた割に平然としていられるのは、亮くんのそういった面を無意識に感じ取っていたからなのかもしれない。
「ごめんね、ありがとう。元の体に戻ったらちゃんと返すね」
「いいよこのくらい。電車来ちゃうから早く行こう」
「あ、うん」
若干急ぎ足で改札を抜ける亮くんの後を追い、私も改札を抜ける。
目的地はすぐ隣の駅。
時間にして五分か六分ほど揺られると、すぐに到着した。
亮くんが住んでいる地域は住宅地ということもあって、会社のビルや工場はほとんどない。
しかし一駅電車に揺られるだけでその景色は全くの別物になる。
私たちが今いるのは、高層ビルが立ち並ぶ都会の街。
巨大な建物を見上げる首が痛くなりそう。
「えっと、トーン買うんだっけ?」
「そう」
漫画を描く人間が言うトーンとは、大抵はスクリーントーンのことを指す。
絵の影になる部分や、髪の毛に貼ったりする網点状のシールのようなもの。
それを買うということは、行き先は文房具屋だろうか。
――数分後。
「こ、ここは……!」
私は、大量のアニメグッズが陳列する棚の前にいた。
文房具屋? なんのことやら。
ここはアニメ専門店「アニメイツ」。パッと見たところ、アニメの原作や同人誌など、アニメ関連のグッズが幅広く取り揃えられている。
果たしてこんなところにトーンが売っているのだろうか。
間違えてこのお店に来てしまったのかと亮くんを見やる。しかし、その足取りに迷いはなかった。
私も昔漫画家を目指そうとしただけあって、アニメや漫画は好きだ。でもこういったお店にくるのは初めてだったりする。
「トーン買うんじゃなかったの?」
「うん」
周りに人がいるせいか「うん」とか「そう」としか答えてくれない。
適当に相槌を打っているだけのようにも聞こえるから少し不安だ。
ふと亮くんが足を止めた。後ろをついていた私はぶつかりそうになって慌てて立ち止まる。といっても、ぶつかることはないんだけど。
そんな私をよそに、亮くんは腰をかがめて棚を眺めていた。
見てみると、大量の文房具が商品棚に敷き詰められていた。
スケッチブックからコピック、果てはデッサン人形まで、絵にまつわるグッズがこれでもかと並べられている。
アニメや漫画のグッズが置いてある店としか思っていなかったから、少し驚いた。漫画グッズだけでなく、漫画を描くグッズまで取り揃えているとは恐れいった。
「あった?」
「あった」
半透明の黒い引き出しから何枚かトーンを取り出し、亮くんはレジへ向かった。選ぶ手つきに迷いがなかったあたり、何度もここで買い物をしていることがわかる。
せっかくだから亮くんがお会計を済ませるまでの間に店内を探検してこよう。
アニメ主題歌が収録されたCDやコスプレグッズ、果ては男の子同士が恋愛する漫画まで取り揃えられている。本当にアニメ関連のグッズなら何でも揃ってしまいそう。
ちょっと楽しいかもしれない。体に戻れたらお買い物をしに来てみよう。
でもこういうお店に一人で来るのは何だか気が引ける。
亮くんを誘っても絶対来てくれないだろうし、アニメに興味がある知り合いがいるわけでもない。
「買った」
そんなことを考えていると、突然背後から声をかけられた。
「うわ、びっくりした」
振り返ってみると、トーンの入った袋を持つ亮くんが立っていた。
気配もなく話しかけてくるのだから心臓に悪い。
「もういいの? 他に買うものとかないの?」
「ない」
きっぱりしてるなぁ。
そういえば、男の子は買うものを決めているからすぐにお買い物が終わるという話を聞いたことがある。私なんていつもふらふらと店内をさまようというのに。
お店から出ると、物凄い人混みにのまれる。
来るときもそうだったけれど、都会というのは本当に人が多い。密度が高すぎるせいで避けようとしても人をすり抜けてしまう。
例えすり抜けたとしても痛くも痒くもないのだけど、なんか嫌だ。
それに、こうも人が多いと亮くんが全く返事をしてくれなくなる。
会話はない。しかし足取りを見るに目的地は駅なのだと推測できた。もう帰るつもりらしい。
せっかく私の分まで余分にお金を払ってくれたというのに、一時間もしないうちに帰るなんてもったいない。
それに、私は亮くんともっと仲良くなりたい。
幸いこの街は色んなお店があるし、交流を深めるにはうってつけだ。
「ねぇ、亮くん。せっかくだから寄り道しない?」
……案の定、亮くんは無言だ。ひたすら人混みをかきわけ駅へと歩いていく。
このままでは帰る羽目になってしまう。それは何としても避けたい。
「お願い! どうしてもまだどこかで遊びたいの!」
「このまま帰るなんてもったいないよー!」
「遊ぼう! ねぇ! 遊ぼう!」
そんなことを何度も繰り返した。
すると、
「……はぁ」
軽いため息をひとつ。
それから亮くんはくるりと方向を変え、近くの大型ショッピングセンターに入っていった。やった、折れてくれた。
「ありがとう!」
ショッピングセンターの入口で、私は子供のように跳びはねた。
炎天下の中、私は語りかける。
けれど亮くんから返ってきたのは言葉ではなく、視線。極めて迷惑そうな視線だった。外だから話しかけるなということらしい。
亮くんは一言も喋らないまま淡々と住宅街を歩いていく。
少しくらい喋ってくれてもいいのに。
私の姿が見えるのは亮くんだけ。だから外で話すと周囲の目には亮くんがひとりで喋っているようにしか見えない。それはわかっている。
でも、今は十時過ぎ。学生も社会人もみんな外にはいない時間帯だ。周囲に人の気配はないし、私を無視する必要はない気がする。
なので、ひたすら話しかける。
それでもやはり返事はしてくれなかった。それどころか、途中からは迷惑そうな視線すら向けてくれなくなった。
人の多い場所では無視されると予想はしていたものの、まさか人気のない道でさえ会話してもらえないとは……。
「ちょっとくらい話してくれないと寂しくて泣いちゃうよー」
なんてことを言っても無駄だろうなと思いながらも、言ってみた。
この子が無愛想だなんて承知の上だし、今更泣くようなことでもないんだけどね。
「……はぁ、面倒くさい人だなぁ」
「あ、お話してくれるの?」
亮くんは街中の酸素が全て吸われてしまうのではないかというほど深く息を吸って、そのまま深くため息をついた。
「いいけど、駅につくまでだから」
「やった!」
昨日といい今といい、どうやらこの子はしつこく言うと折れてくれるらしい。
何はともあれこれでお話ができる。といっても特に話したいことがあるわけではないのだけど。
しかしせっかくの機会を無駄にするわけにはいかないので、色々と訊いてみよう。
「亮くんは彼女いたこととかないの?」
「ない」
即答された。それも、恋愛には欠片も興味がありませんといったような、無関心な物言いだった。
「モテそうなのになぁ。告白されたことは?」
「あるけど、興味ないから振った」
「ドライだねぇ」
ちくしょう、なんて羨ましい子だ。興味がないから振るなんて恋人が欲しい人間からすれば贅沢すぎる選択だよ。
私なんて告白されたことはおろか、ろくに男友達すらいないというのに。
まあ、別に恋人とか男友達が欲しいってわけでもないんだけどね。
「そろそろ黙って」
亮くんは目線を前に向けながら言う。
釣られて見てみると、既に駅が見えていた。
平日の昼前ということもあって人の出入りは少ない。けれど全くいないわけでもない。
このまま話をすればすれ違う人たちから冷たい目線を送られることだろう、亮くんが。
それは可哀想なので言われた通り大人しくしておく。元から静かにするのを条件についてきたわけだし。
駅につき、券売機にお金を入れると亮くんは二人分の切符を購入した。
「二人分……?」
静かにしろと言われたものの、つい口に出してしまった。
確かに電車に乗るのは私と亮くんの二人。買った切符の枚数も二人分。計算としては合っているのだけど、今の私は幽霊のような状態だ。態々買う必要はない気がする。
亮くんは周囲に人がいないことを確認すると、小声でささやく。
「何かずるい気がするから、払う」
……感心した。というより、感動した。
なんていい子なんだろう。改札を素通りする気満々だった私とは大違い。
薄々思ってはいたけど、今確信を持てた。この子は真面目な性格だ。
口は悪いし態度は冷たい。でも、根底にあるのは優しさだ。
散々辛辣な態度を取られた割に平然としていられるのは、亮くんのそういった面を無意識に感じ取っていたからなのかもしれない。
「ごめんね、ありがとう。元の体に戻ったらちゃんと返すね」
「いいよこのくらい。電車来ちゃうから早く行こう」
「あ、うん」
若干急ぎ足で改札を抜ける亮くんの後を追い、私も改札を抜ける。
目的地はすぐ隣の駅。
時間にして五分か六分ほど揺られると、すぐに到着した。
亮くんが住んでいる地域は住宅地ということもあって、会社のビルや工場はほとんどない。
しかし一駅電車に揺られるだけでその景色は全くの別物になる。
私たちが今いるのは、高層ビルが立ち並ぶ都会の街。
巨大な建物を見上げる首が痛くなりそう。
「えっと、トーン買うんだっけ?」
「そう」
漫画を描く人間が言うトーンとは、大抵はスクリーントーンのことを指す。
絵の影になる部分や、髪の毛に貼ったりする網点状のシールのようなもの。
それを買うということは、行き先は文房具屋だろうか。
――数分後。
「こ、ここは……!」
私は、大量のアニメグッズが陳列する棚の前にいた。
文房具屋? なんのことやら。
ここはアニメ専門店「アニメイツ」。パッと見たところ、アニメの原作や同人誌など、アニメ関連のグッズが幅広く取り揃えられている。
果たしてこんなところにトーンが売っているのだろうか。
間違えてこのお店に来てしまったのかと亮くんを見やる。しかし、その足取りに迷いはなかった。
私も昔漫画家を目指そうとしただけあって、アニメや漫画は好きだ。でもこういったお店にくるのは初めてだったりする。
「トーン買うんじゃなかったの?」
「うん」
周りに人がいるせいか「うん」とか「そう」としか答えてくれない。
適当に相槌を打っているだけのようにも聞こえるから少し不安だ。
ふと亮くんが足を止めた。後ろをついていた私はぶつかりそうになって慌てて立ち止まる。といっても、ぶつかることはないんだけど。
そんな私をよそに、亮くんは腰をかがめて棚を眺めていた。
見てみると、大量の文房具が商品棚に敷き詰められていた。
スケッチブックからコピック、果てはデッサン人形まで、絵にまつわるグッズがこれでもかと並べられている。
アニメや漫画のグッズが置いてある店としか思っていなかったから、少し驚いた。漫画グッズだけでなく、漫画を描くグッズまで取り揃えているとは恐れいった。
「あった?」
「あった」
半透明の黒い引き出しから何枚かトーンを取り出し、亮くんはレジへ向かった。選ぶ手つきに迷いがなかったあたり、何度もここで買い物をしていることがわかる。
せっかくだから亮くんがお会計を済ませるまでの間に店内を探検してこよう。
アニメ主題歌が収録されたCDやコスプレグッズ、果ては男の子同士が恋愛する漫画まで取り揃えられている。本当にアニメ関連のグッズなら何でも揃ってしまいそう。
ちょっと楽しいかもしれない。体に戻れたらお買い物をしに来てみよう。
でもこういうお店に一人で来るのは何だか気が引ける。
亮くんを誘っても絶対来てくれないだろうし、アニメに興味がある知り合いがいるわけでもない。
「買った」
そんなことを考えていると、突然背後から声をかけられた。
「うわ、びっくりした」
振り返ってみると、トーンの入った袋を持つ亮くんが立っていた。
気配もなく話しかけてくるのだから心臓に悪い。
「もういいの? 他に買うものとかないの?」
「ない」
きっぱりしてるなぁ。
そういえば、男の子は買うものを決めているからすぐにお買い物が終わるという話を聞いたことがある。私なんていつもふらふらと店内をさまようというのに。
お店から出ると、物凄い人混みにのまれる。
来るときもそうだったけれど、都会というのは本当に人が多い。密度が高すぎるせいで避けようとしても人をすり抜けてしまう。
例えすり抜けたとしても痛くも痒くもないのだけど、なんか嫌だ。
それに、こうも人が多いと亮くんが全く返事をしてくれなくなる。
会話はない。しかし足取りを見るに目的地は駅なのだと推測できた。もう帰るつもりらしい。
せっかく私の分まで余分にお金を払ってくれたというのに、一時間もしないうちに帰るなんてもったいない。
それに、私は亮くんともっと仲良くなりたい。
幸いこの街は色んなお店があるし、交流を深めるにはうってつけだ。
「ねぇ、亮くん。せっかくだから寄り道しない?」
……案の定、亮くんは無言だ。ひたすら人混みをかきわけ駅へと歩いていく。
このままでは帰る羽目になってしまう。それは何としても避けたい。
「お願い! どうしてもまだどこかで遊びたいの!」
「このまま帰るなんてもったいないよー!」
「遊ぼう! ねぇ! 遊ぼう!」
そんなことを何度も繰り返した。
すると、
「……はぁ」
軽いため息をひとつ。
それから亮くんはくるりと方向を変え、近くの大型ショッピングセンターに入っていった。やった、折れてくれた。
「ありがとう!」
ショッピングセンターの入口で、私は子供のように跳びはねた。