【完】李寵妃恋譚―この世界、君と共に―
「ねぇ、翠蓮」
「はい」
「僕に、名前を下さい」
「え?」
「伯怜じゃない、名前を。どうか」
翠蓮の手を取って、希われる。
泣きだしそうなその顔に、翠蓮は何も言えなかった。
「名前って……あるではありませんか。伯怜って、名前が」
「そうではなく、貴女に名前を貰いたい」
あまりにも真剣な、その綺麗な顔に、翠蓮は釘付けとなってしまう。
好きになってしまったとか、そういうのではなく……単純に、目を離せないのだ。
ここは、後宮なのに。
彼はいたら、危ないのに。
そうは思うのに、口は動かない。
「翠蓮が、何を言おうとしているかは判かるよ」
「……」
「ここは、後宮だ。天子の花々が住まう、花園」
翠蓮が頷くと、彼は笑って。
「大丈夫。"彼らは僕を裁けない”」
確信持ったその言い方には、他の意味もこもっているような気がした。
「……あ、そうだ。翠蓮、『宵始伝(ショウシデン)』を読んでくれませんか?」
「……『宵始伝』?」
「はい。この国の歴史書です」
「どうして、いきなり……」
「それは、僕が貴女に決めたから」
悲しそうなその声音に、翠蓮は何も言えなかった。
ただ、その『宵始伝』を読まなければ、と、"本能的”に思った。