あの時からずっと、君は俺の好きな人。
お店が忙しい時間帯に渡されたし、無言でさっと渡してきたこともあり、私はすっかり彼の存在を忘れていたのだ。


「ーーごめんなさい。私そういう気はありません」


そして私ははっきりと言った。眼前の男性に対して何の感情もない。そもそも誰とも恋愛をする気なんてない。

ーーしかし。


「照れてるの?」

「え……?」

「だって、君も俺の事好きじゃないか」


彼はニヤついて言った。言葉の意味がまったくわからなかったので、不気味さを感じた。


「だっていつもお店に来ると笑ってくれるし、パンを買うとありがとうって優しく言ってくれるし」


ーー何言ってるんだこの人は。

そんなのパン屋に来てくれたお客さんすべてにやっている、営業スマイルだ。

この人に大して特別な行為なんて一切していない。第一たった今まで存在すら忘れていたというのに。

私は呆然としてしまい、返す言葉が出ない。


「ーーね。分かってるから。照れなくてもいいんだよ」


すると彼は、そんな私の手をレジカウンターごしに握ってきて、いやらしくにやつきながら見つめてきた。
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